機関紙84号 (2013年1月19日発行)



もくじ

夜明け
   藤原絢子(山口在住)

九条の自覚をマスコミに働きかけよう!
   持丸邦子(代表委員)

2013年年賀状

ベアテ・ゴードンさん死去
  日本国憲法 22歳の若さで男女平等起草

太郎の部屋のほっとたいむ 5
  小林多喜二と「組曲虐殺」
   鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

視角
  朝日社説の戦後史認識
   梅田正己(書籍編集者)
    マスメディアが作り出す新しい「神話」
    誤った歴史認識は、誤った現状認識を生む
    「沖縄返還」も庇護なのか
    近隣とはどこの国
    危機感伝える沖縄の2紙

鈴木彰の「ドロ舟はどう転んでも泥の舟」

新春随想
  心打たれた「ヨイトマケ」の唄
   田村 了(こぶし町在住)

新聞は本土の沖縄化を伝えよ
   葛西建治(山口在住)

「九条を生かす」
   鴨川孝司(こぶし町在住)
    ●誰が喜ぶのか「国防軍」と憲法改正
    ●岐路に立ついま、歴史の教訓に学ぼう




夜明け

藤原絢子(布絵作家 「夜明け」は水彩画)
 1938年栃木県山辺町(現足利市)に生まれる。1961年東京学芸大学卒。
 1961〜1995年板橋区志村第二中学校などで美術科の教諭を歴任。   
 1994年第一回個展、瀝西美術展、平和美術展出品。所沢市山口在住。   



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九条の自覚をマスコミに働きかけよう!

持丸邦子(代表委員)

 総選挙の結果、憲法改定賛成議員が多数をしめる、という危機的状況です。

 日中友好40周年の2012年が、関係悪化の年になってしまいました。思えば、この記念の年に対して、マスコミのテンションは年明けから、ちっとも上がりませんでした。

 野田(前)首相が最悪のタイミングで尖閣の国有化を発表したように、近隣諸国と日本との負の歴史を多くの日本人は知らなさ過ぎます。自虐史観に基づいていると批判して、アジアの国々や欧米の諸国は知っている日本軍の戦争中の残虐な行為も教えないようにしてきました。

 冷え込んでしまった日中・日韓関係を元に戻すためにも、九条から国際関係を論じ始めることをマスコミに働きかけたいと思います。両国との関係が悪化してくる中で、九条が国際紛争を解決する手段として、武力の使用を選択肢からはずしていることには一言も触れずに、次はすぐ戦争、というような記事ばかりでした。なぜ?と思った九条の会の会員は多かったでしょう。

 マスコミ出身の会員の方に、すぐ戦争、のような記事を平和国家日本に恥じない記事に書き直していただいて、両者を比べたいと思います。それを提示し、現役マスコミの方々にも歴史や九条の再学習を働きかけたいと思います。



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2013年年賀状

 日頃からご協力いただいている皆様から、今年もたくさんの年賀状が寄せられました。
その一部を御紹介します。

早乙女勝元さん
(作家・足立区在住)

中田千郷さん
(画家・東所沢在住)

中村千秋さん
(下富在住)


岡部 昭さん
(彫金家・山口在住)

中原道夫さん
(詩人・上新井在住)

鈴木 彰さん
(政治漫画家・調布在住)





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ベアテ・ゴードンさん死去

日本国憲法 22歳の若さで男女平等起草

 終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平等に関する条項を書き上げた米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だつた。

 娘のニコルさんば「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴え、改正に総じて反対だった。この二つの変更を特に懸念していた」と語り、供物で弔意を示したい場合は代わりに護憲団体「九条の会」に寄付してほしいという。

 ゴードンさんは、1923年、国際的ピアニスト、レオ・シロタ氏の娘としてウィーンに生まれた。作曲家の山田耕筰氏から東京音楽学校(現東京芸大)教授に招かれた父親に伴い1929年に来日、約10年間を日本で過ごした。

 1939年、両親を日本に残し米カリフォルニア州の名門ミルズ大に留学。米国籍を取得した。終戦後の45年末にGHQ付の通訳・翻訳官として再来日した。卒業後、米誌タイムの助手として働き、1946年2月、民政局ホイットニー准将の下、22歳の若さで憲法起草作業に従事し、24条(両性の平等)など人権に関する条項を書き上げる一方、案文をめぐる日本政府との折衝で通訳を務めた。

 晩年は憲法起草での役割を積極的に語り、日本の憲法は「歴史の英知」として戦争放棄をうたった九条を擁護。故市川房枝氏ら日本の女性リーダーとも広く交流した。

 50年の親交のあった杉本浩二さんが24条を書いた理由を尋ねたところ、「女性だけが台所の隅で食事する様子を見聞きして、日本は男女平等でないと感じた」と話したという(東京新聞)。

 訃報を知った日本の知人らは「母親のような優しい人」「本当にさみしい」と惜しんでいる。




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太郎の部屋のほっとたいむ 5

小林多喜二と「組曲虐殺」

鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

 井上ひさしの最後の音楽劇「組曲虐殺」(こまつ座&ホリプロ制作)を見た。まさに意欲的な作品であった。プロレタリア作家・小林多喜二の29年と4カ月の生涯を、6人の登場人物と1人の音楽家(ピアニスト)によって見事に仕上げた舞台は、見るものに多くの感動をよびおこしてくれた。

 演出の栗山民也は小林多喜二と井上ひさしという二人の作家の姿をひとつに結びつけ、新鮮で重厚な仕上がりを提示した。(東京公演は天王洲・銀河劇場で上演=2011年12月7日〜30日)

 プロローグの「代用パン」の歌に始まる。そして、14年後の昭和5年(1930年)から昭和8年、(1933年)までの2年9カ月間が、大阪府警島之内署取調室や東京府下杉並町立野信之借家など9場面で展開されていく。

 小林多喜二役の井上芳雄を中心に、高畑淳子、石原さとみ、神野三鈴、山本能三、山崎一の俳優陣が、それぞれに存在感を持ち、せりふも歌も見事にこなしていく。真実味のなかに、ときには笑いさえさそってくれる。

 多喜二が築地警察署で拷問により虐殺されたのは1933年2月20日であった。「身体全体でぷつかって」小説を書き、懸命に生きた多喜二の死はなんとも無念である。、戯曲『組曲虐殺』は集英社(定価1260円)から発刊されている。多喜二とそれをめぐる人々の物語が感受できる。「組曲」らしく多くの歌も活字でよむとまた違った魅力がでてくる。




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視 角

朝日社説の戦後史認識

梅田正己(書籍編集者)

マスメディアが作り出す新しい「神話」

 1月7日の朝日新聞の社説は、「激動期の日本外交」についてだった。

 その初めの方で、社説は、安倍首相が早い時期に訪米し、「民主党政権下で傷ついた日米同盟の修復などの懸案」についてオバマ大統領とじっくり話し合うのは時宜を得ている、と述べていた。

 訪米の主目的は「民主党政権下で傷ついた日米同盟の修復」だと言っている。しかし、民主党政権下で、いつ、どのように「日米同盟は傷ついた」のだろうか。

 鳩山前首相の「普天間基地の県外移設」の画策のことだろうか。しかし前首相は、結局は「海兵隊の抑止力」を口にして移設を撤回、米軍の固執する辺野古での新基地建設に戻った。以後、これが民主党政権の動かぬ主張となった。

 だいたい、鳩山氏が首相の座から引きずりおろされたのも、民主党内から「鳩山やめろ」の大合唱が湧き起こったためではなかったか。

 日米同盟を傷つけるどころではない。日米同盟を守る、守りたいというのが民主党の立場だったのだ。

 その証拠に、最後の防衛大臣には、軍事評論では自民党政権時代からの日米同盟推進の筆頭株ともいえる森本敏氏を起用し、全国に広がったオスプレイ配備反対の声をその「能面のような顔」(仲井真沖縄県知事)で聞き流し、米国の方針に忠実に従ったのである。

 「民主党政権下で傷ついた日米同盟」というのは、マスメディアが作り出した新しい「神話」ではないか。私にはそう思える。

 この朝日「社説」に含まれる「神話」は、それだけではない。終わりの方に、こう書かれている。「振り返れば、戦後日本はじつに恵まれた国際環境を享受してきた。」

 本当にそうだろうか? その「恵まれた国際環境」とは、何をさすのか、続いてその答えが書かれている。

 「米ソ冷戦時代には、米国の庇護の下、復興と経済発展に励むことができた。」その結果、「外交の基本も沖縄返還や近隣との国交正常化など、敗戦で失ったマイナスを取り戻す道のりだった。」

誤った歴史認識は、誤った現状認識を生む

 問題は、この戦後史認識である。「米国の庇護」とは何をいうのだろうか。

 米国の指令で再軍備をし、日米安保条約を結ぴ、米国に誘導されるままに米軍のアジア戦略に組み込まれたことを言うのだろうか。

 しかしそれによって、日本はいまや米国の忠実な従僕となってしまった。

 社説は、「復興と経済発展に励むことができた」ともいう。軽武装ですますことができたからというのだろうが、しかしこれもその最大の要因は「米国の庇護」ではなく、自動車産業の発展にしろ家電産業の飛躍にしろ、日本国民が汗を流し、知恵をしぼって勤勉に働いたからではないのか。

「沖縄返還」も庇護なのか

 また「米国の庇護」のもと、「沖縄返還」ができたという。しかし、沖縄を戦争が終わって27年もの間「占領」していたのはだれか? 米国ではないか? 日本本土の占領が終了した後も、20年もの長期にわたって占領しつづけ、やっと施政権だけは返還したものの、軍事基地はその後も40年、そっくりそのまま「治外法権区域」として占拠しているのは、米国ではないか? このような「沖縄返還」も、「米国の庇護」のたまものだというのか? さらに「近隣との国交正常化」も社説は「米国の庇護」のたまものだという。

近隣とはどこの国

 近隣とはどこの国か。まず中国だ。その中国とは、戦後27年もの間、日本は国交を断絶したままだった。当時の日本にとっての「中国」は、台湾の蒋介石政権だったのだ。

 なぜ、そうだったのか。米国と中国(中華人民共和国)とは敵対関係にあり、日本は米国陣営に組み込まれていたからだ。

 1972年2月、突如、ニクソン大統領が訪中し、米中国交正常化へ向かった。それでやっと同年9月、田中角栄首相が訪中、日中国交回復ができたのだ。

 近隣の国には、北朝鮮ももちろん含まれる。
 しかしこの北朝鮮とは、世界のほとんどの国が国交を開いているにもかかわらず、日本はいまだに断交状態だ。原因は、朝鮮戦争を戦った米国と北朝鮮が、休戦協定を結んだだけで、いまだに戦争状態にあるからだ。米朝が平和条約を締結してこの状態を終息させないかぎり、日本は米国をさしおいて国交を正常化することができない。

 したがってまた、過去の3〜5年間の植民地支配問題を解決し、拉致問題を解決することができない。これで果たして、「敗戦で失ったマイナスを取り戻」せたと言えるだろうか。

 しかし社説は、「戦後日本はじつに恵まれた国際環境を享受し」、「米国の庇護の下」、沖縄の問題や「近隣との国交正常化」などを処理することができた、と言っている。

 しかし現実は、いま見たとおり、沖縄の基地問題も、北朝鮮との関係の問題も、まったく未解決のまま、そっくり残されている。そしてその未解決の問題には、すべて米国の政策がからんでいるのだ。

 この社説の戦後史認識では、沖縄問題の基本は40年前に解決済みとされている。

危機感伝える沖縄の2紙

 しかし、この年頭、元日の沖縄の2紙の紙面は、悲壮ともいえる危機感にみちたものだった。たとえば琉球新報は、2〜3面ぶち抜きのタイトルで、〈「辺野古」圧力強まる 剣が峰を迎える沖縄〉、また沖縄タイムスの1面は、やはり特大の活字で〈迷走政府、止めたい〉、そしてこの日から始まった連載シリーズの通しタイトルは、なんと、〈「日本」への告発状一一基地問題の実相〉だった。沖縄問題は解決どころではない、その矛盾はいまや極点に達しようとしているのだ。

 安倍内閣は発足そうそう早くも軍事費の増大を決め、そのための「防衛大綱」の改定を決めた。

 安倍首相がめざす目標は憲法改正だ。自民党が昨年発表した「憲法改正草案」では、9条2項を廃して「国防軍」の設置を定めるとともに、天皇を「元首」とすることを定めている。

 戦後67年、歴史は大きく転回して、ふたたび戦後の出発点に戻ったようだ。
 この67年とは、私たちにとって、いったい何だったのか、その思いが胸を噛む。

 戦後史認識とは、たんに過去をどう見るかの問題ではない。今われわれの立っている位置、現在の日本をどう考えるかという問題だ。誤った歴史認識は、誤った現状認識につながる。

 今われわれは、自分たちの生きてきた戦後67年の総点検を迫られているのではないか、そう思えてならない。




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鈴木彰の「ドロ舟はどう転んでも泥の舟」




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新春随想

心打たれた「ヨイトマケ」の唄

田村 了(こぶし町在住)

 明けましておめでとうございます。昨年は、憲法を目の敵にしている勢力を圧勝させてしまったあの選挙から、すぐに年末となり、気分転換もできないまま、私はすっかりくたびれていました。

 そして大晦日、娘が穴八幡の「一陽末福」の小さなお札を持ってやってきました。久し振りに家族4人で談笑のひとときを過ごしました。見るともなくつけ放しの紅白は、やたらにキラキラピカピカ、次から次と大勢で繰り出し、嫌気がさしました。その内、光を絞った舞台での「ヨイトマケの唄」(美輪明宏)になりました。それは、労働する母と、それを見てたくさんのものを受け取る子どもの姿を彷佛させて、心打たれました。

 二日には初詣の道すがら、航空公園のロウバイを見ました。寒い中、咲き始めた木も何本かあり、まだ芳香を放つまでいかないもののほころびかけたというところ。花芽もコロコロと、暖かくなるのを待って風情が愛らしい。夕方には少し日が伸びたのも実感され、一陽来福(春遠からじ)と、ロウバイの透き通るような光の色は、私の胸に暖かいものを呼び起こしてくれた。

 そうだ、落ち込んでいる時ではない。憲法を変え、戦争のできる国にしようとする者が権力の座についた今、これまで積み上げてきたものを簡単に失っていいのか。年寄りだからと諦めたら、子や孫たちの世代に恥ずかしい。微力でも無力ではない、平和を脅かす者に立ち向かう人々と共に歩まなくてはとの思いに至った新春でした。




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新聞は本土の沖縄化を伝えよ

葛西建治(山口在住)

 選挙の争点が民自公による消費税増税や原発の是非、TPPやオスプレイ配備であったが、大新聞は第三極劇場型報道で真の争点を隠してしまった。いつもの大新聞のやり方であろう。北朝鮮のロケット発射には大きなスペースを割くが、国民の命に関わる米軍や自衛隊の動きについて報道されることは極めて少ない。

 たとえば横田基地のC130輸送機が埼玉県北部で危険な超低空飛行訓練が繰り返して行われていることを報じる新聞は皆無である。目撃者によると、夏ごろからC130輸送機が2〜3機編隊で八高線沿線で低空飛行を繰り返していると証言する。

 塩川衆院議員が入手した資料には、飛行最低高度は200フィートとある。操縦士の顔が見える高さである。C130輸送機の飛行ルートの下には、多くの民間の飛行場が存在し、小型飛行機からドクターヘリなど様々な民間機が飛行している。民間機との衝突を阻止しようと、横田基地で民間航空団体が空中衝突防止会議を開くが、防衛省は詳細は「承知していない」とトボける。

 入間基地のC1輸送機が東久留米上空で民間機とあわやのニアミスを起こしたことも新聞に一行も報じられなかった。

 平山武久県平和委代表理事は「低空飛行が目撃されている地域をつないでいくと、オスプレイの訓練飛行ルートにつながる。横田への飛来を否定していないので、埼玉上空を飛ぶことが予想される」と語る。これでも大新聞は無視をするのか。

 元朝日新聞編集委員の石川巌さんが、軍事研究6月号に「大ニュースの水面下で報じられない在日米軍の活発な動き」をリポートしている。E/A−18Gグラウラーが空母GW搭載の電子戦機として厚木基地に6機配備された。電子戦機として最新型の機種でグラウラーは従来、電子戦要員が3人も搭乗していたが、1人で任務をこなすという。米軍佐世保基地にはワスプ級新強襲揚陸艦ボノム・リシャールが配備された。オスプレイを搭載するため飛行甲板を強化して、最強の強襲揚陸艦である。

 さらに驚くべきことは、横田と座間の米軍基地に自衛隊の司令部が移っていることだ。横田には空自の航空総隊司令部が、座間には陸自の中央即応集団司令部が移転した。横田では空自航空総隊と米軍の建物が正面玄関同士で向き合い、両者は長さ30メートルの地下道でつながっている。3月26日に運用開始式が行われたが、通用門には「横田基地」とあるだけで、「航空自衛隊」「航空総隊司令部」の文字はないという。在日米軍強化と自衛隊との一体化は急速に進められることは「本土の沖縄化」を目指すものと言える。




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「九条を生かす」

鴨川孝司(こぶし町在住)

●誰が喜ぶのか「国防軍」と憲法改正

 「明けましておめでとう」と言いたいところですが、重い雰囲気がたちこめ素直に「おめでとう」と言えない気分になるのは、先の総選挙での、自民党の大勝といわれる獲得した票を超えての議席の配分と総選挙での「自衛隊を国防軍に改める」という選挙公約によってです。

 代議制により多数票を獲得した政党に国政をゆだねるのは当然のこととしても、今回の小選挙区制による議席の配分は、民意とは乖離し、国民の総意を斟酌し安全と繁栄を求めるまともな政治が行われるとは思えない状態です。そのうえ、国民の多数が求める脱原発TPP参加反対には曖昧な態度をとり、選挙が終わるや原発再開、TPP参加へと舵を切り、参院議員選挙を前にしては選挙勝利のために、改憲論は陰に隠し、経済の回復と称して、かつての「ひも付き補助金」による自民党の票固めに懸命になっています。

 その安倍首相がしようとしている改憲の手順は、憲法改悪をしやすくするための96条の改正、実質的改憲の集団的自衛権の行使、そして自衛隊を国防軍にしていく第九条の改悪です。

 そこには「第二次大戦の悲惨な体験を再び繰り返すな」という教訓や21世紀の世界は「平和な世界を」求めて、国連の役割の強化や地域的な安全保障体制の強化はかろうとしている歴史の流れは目に入っていません。

 あるのは、2012年8月15日に発表された「アーミテージレポート3」では「日米両国は中国の台頭と核武装した北朝鮮の脅威に直面しており、特に日本はこの地域で二流国家に没落する危機にあること、これに対して、集団的自衛権の行使を念頭に、米軍の『統合エアシーバトル(統合空海戦闘)』と自衛隊の『動的防衛力』構想の連携で、米軍と自衛隊の相互運用能力を高めるべきだ」「東日本大震災後の“トモダチ作戦”では共同作戦が奏功したが、日本は依然として有事に集団的自衛権を行使できず、共同対処の大きな障害となっている」と述べています。

●岐路に立ついま、歴史の教訓に学ぼう

 私たちは何を目指すべきでしょうか。アジアの人びとと連携しながら東アジアの平和への探求、集団的自衛権の行使=戦争をする国への変質に反対する運動を重要な課題として展開しなくてはならないと考えます。

 澤藤統一郎さんの憲法日記で「原発と九条のリアリティ」との単文があり、そこに原発技術者である「山田太郎」の名前の小さなパンフレットが紹介されていました。

 「バンフのタイトルは、『原発を並べて自衛戦争はできない一原発と憲法の関係一』」。

 澤藤さんは「山田太郎さんの論理的結論は次のとおりである」「原発を国内に抱えているわが国は、どんな相手からも武力攻撃を受けるような事態をつくってはならない」「そのためには、軍備を持たず徹底的に平和な手段で国際紛争を解決する努力をするのが国家滅亡を避けるためのもっとも現実的な方法である」「それが、日本国憲法の前文と九条に書いであることだ」と指摘しています。

 歴史の教訓に学び、21世紀の世界を見据え、日本の現状をあるがままにとらえて九条を生かしていく道を切り開く、その道を全力ふるって進みましょう。




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