機関紙81号 (2012年9月26日発行)new!



もくじ

ニュース報道に手を抜くな、読者の「知る権利」に応えよ
    藤田博司(元上智大学教授・元共同通信論説副委員長)
     週刊誌のスクープ相次ぐ
     新聞が報じない米兵犯罪
     後追いしない新聞、TV
     独自の確認、掘り下げを
     巨人軍は飯の種か
     「権力監視」は悪い冗談?

「基地の島」から「平和の島」へ一緒に変えましょう
  所沢でお会いできること、楽しみにしております
    高良鉄美(琉球大学法科大学教授)

太郎の部屋 ほっとたいむ 2
    鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

会員の投稿 1
  「どこに聴いたらいいの」 バラバラな縦割り行政
    塚崎公美(上山口在住)

会員の投稿 2
  中国、朝鮮“国境の街”1400キロの旅
    米山 淳(山口在住)

会員の投稿 3
  お力添えありがとう
    原 緑(椿峰在住)

鈴木彰の「競り合って議員の数を叩き売り」

沖縄のオスプレイ配備反対集会に参加しました
      鴨川孝司(当紙編集長・こぶし町在住)
  
避難民の絆を結ぶ小さな通信の大きな役割(川房通信からD)

「所沢・平和のための戦争展」に1300人が入場

短 信
   ●三ヶ島葭子講演会
   ◆青年劇場「普天間」を所沢で公演





ニュース報道に手を抜くな、読者の「知る権利」に応えよ

藤田博司(元上智大学教授・元共同通信論説副委員長)

 このところ、週刊誌がスクープを連発している。6月から8月にかけて、週刊文春、週刊朝日が報じたいくつかのニュースは、どれも読者の関心を集めるものばかりだ。ところがおかしなことに、新聞もテレビもいっこうにこれらのスクープを追っかけて報道する気配がない。なぜかだんまりを決め込んだままだ。読者の関心が高いニュースをなぜ報じようとしないのか、読者の「知る権利」に応えることを使命とするメディアが手抜きをしているのではないか、報道現場の責任者にしかと聞いてみたい気がする。

週刊誌のスクープ相次ぐ

 週刊文春が6月に相次いで伝えた2つのニュースはなかなか衝撃的だった。一つは小沢一郎元民主党代表の夫人が書いたとされる私信、いわゆる「離縁状」の内容。もう一つは、読売巨人軍の原辰徳監督が四半世紀も前の不倫関係をネタに脅されて元暴力団員と見られる男たちに1億円を払っていたという話。

 「離縁状」の中身は、小沢氏が昨年の東日本大震災のあと、放射能を恐れて被災地を訪れることもせず、東京からも「逃げていた」時期があったということなどを挙げて、愛想が尽きた夫人が離婚を決意したといったもの。事実とすれば政治家としてのお粗末さを身内に生々しく指摘されたことになり、当時も今も政局の渦中にある小沢氏の動向に少なからぬ影響を及ぼすニュースだった。

 原監督の1億円問題も読者の関心を集めたことは間違いない。若い時代の身の不始末から出たこととはいえ、1億円もの巨額のカネをいかがわしい男たちに脅し取られたとあっては、野球の人気球団の監督としてははなはだ不名誉の極み。原監督自身が「暴力追放運動」の看板の顔になっていた手前も、ただの恐喝事件では済まない話に違いない。プロ野球界の規範であるプロ野球協約にも明白に違反した行動だけに球界人としての責任問題が持ち上がることも避けられない。

 7月には週刊朝日が2週にわたって「元国税庁長官の脱税疑惑」を報じた。この元長官は、「国民年金なんか払うな」と家族に命じていたことや、現役の高級官僚時代に講演料などの雑収入を所得申告していなかったことなどが夫人の証言で明らかになったという。週刊誌の報道はまた、元長官の「脱法重婚」の事実も指摘している。税徴収の組織のトップにあった人物のこうした言動は、消費増税が政治の最大の焦点になっている時期のことだけに、政治的にも道義的にも見過ごすことのできない問題を含んでいる。

新聞が報じない米兵犯罪

 週刊文春はさらに8月16・23日号で、日本人女性に対する強姦の疑いがもたれている厚木基地所属の米兵を、日本政府の介入で地元警察が逮捕手続きを進められないでいる、と伝えた。報道によると、オスプレイ問題で日米関係がぎくしやくしていることに配慮して、両国関係の悪化を懸念した政府当局の指示によるものという。事実とすれば正当な司法権の執行を政府が妨げていることになり、重大な問題をはらんでいる。

後追いしない新聞、TV

 これらのニュースはどれをとっても、政治的にも社会的にも重大な意味を持つ情報であり、一般市民の間にも広く、強い関心がもたれているであろうことは疑いない。ところが、それにもかかわらず、主流メディアの新聞も、テレビも一部を除いてほとんどこれらのニュースを積極的に報道しようとしていない。

 小沢氏の「離縁状」問題は産経、読売などの新聞がごくあっさりと週刊誌報道を紹介してはいたが、独自の掘り下げた報道はしていない。他の新聞もテレビも、その後、政局がらみで小沢氏をたびたび取り上げる機会があったのに、話題を呼んだ「離縁状」問題にふれたことはない。

 民主党を離党して新党を結成した小沢氏はその後、記者会見にも幾度か顔を出しているが、テレビ会見でも「離縁状」について質問した記者は1人も見たことがない。主流メディアはこの小沢氏の問題には一切、無関心でいるとしか思えない。これをニュースとは考えもせず、報道に値する、あるいは読者が関心を抱いている、とは現場の記者も編集者も思ってもいないのかもしれない。しかしこのニュース判断、ニュース感覚は正しいのか。読者の側から見ると、とてもそうとは思えない。

 原監督の1億円事件は朝日新聞だけが独自取材で社会面トップを飾ったが、他の新聞は文春報道のうわべをなぞった程度ですませて、被害届さえも出していない原監督や巨人軍の道義的責任問題を追及する気配さえ見せていない。巨人軍と一心同体の関係にある読売新聞は、1億円を脅し取った男たちが「反社会的勢力ではない」という巨人軍の見解をそのまま報じ、原監督の責任を問わず、監督続投の方針を早々と打ち出して、問題の早期幕引きを図った印象を与えた。

独自の確認、掘り下げを

 こうした新聞の対応が市民の冷笑を買い、ニュース報道への不信をあおっていることを、当事者たちはもっと深刻に自覚していいはずである。この問題では、本来もっと毅然とした対応をしなければならないプロ野球機構の加藤良三・コミッショナーの煮え切らない姿勢も野球ファンの間に失笑と失望を広げている。

 小沢「離縁状」問題から米兵不逮捕介入問題まで、それぞれに問題は極めて重大で、主流メディアにとっても大きなニュースと判断されるものなのに、なぜ新聞もテレビも独自に報道しようとしないのか、幾人かの事情通の意見を徴してみると、興味深い答えが返ってきた。

 1つは、週刊誌報道はえてしてマユツバものが多くてすぐには信用できないという主流メディア側の不信感ないし偏見があるという。

 しかしこれは、主流メディア側の不作為の説明にはならない。新聞もテレビも、週刊誌に比べればはるかに強力な取材力を備えている。これらの報道の中身にニュースとしての価値を認めるなら、自社の取材陣を動かして情報の内容を確認すればいい。週刊誌よりさらに深く踏み込んだ取材ができれば、より大きな衝撃力のある事実を掘り起こすことができるだろう。それをしないのは、する意思がないことを裏付けることになるだろう。

巨人軍は飯の種か

 新聞やテレビが動かないもう一つの理由として挙げられたのは、報道に踏み切れば取材対象との関係が悪化することを恐れて手控えている、との見方である。

 小沢一郎氏にいやな質問をぶつけていったん睨まれると、今後の取材が難しくなる。同じことは原問題での対巨人車でもいえる。巨人軍の不興を買って取材から締め出されると、運動部記者には飯の種がなくなる、という人もいる。

 国税局に対する取材は、メディア企業がいつ国税局の査察を受けるかわからないという恐怖を抱えている限り、思い切ったことを書けない、といううがった見方もある。

「権力監視」は悪い冗談?

 しかし、こうした取材先との関係に対する配慮が踏み込んだ報道を妨げているとすれば、メディアが「権力を監視する」という、メディアの存在意義と役割を説明する伝統的な見方がまるで悪い冗談ではないかと思われてくる。それを冗談とは思わせないために、現場の記者や編集者は、文字通り淡々と、ニュースを追ってとことん取材し、その結果を、真実と信じる結果があれば、ありのままに誰はばかることなく、伝えるという営みを続けていかねばならない。

 ニュースの報道に手抜きをしてはいけない。ここ2か月ばかりの、週刊誌の報道と、それをしっかり後追いもせず、メダルの数に浮かれまわり、薄っぺらな「感動物語」でお茶を濁してきたような五輪報道のドタバタ騒ぎを見ると、主流メディアがすっかりニュースヘの関心を失ったのではないかと心配になる。

 小沢一郎氏の記者会見で、「奥方の書いたと言われる離縁状の内容は事実ですか」という、こんな質問をする記者がせめて1人くらいいてくれないと、日本のジャーナリズムは浮かばれない。
(メディア展望『メディア談話室』9月号より転載)



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「基地の島」から「平和の島」へ一緒に変えましょう

所沢でお会いできること、楽しみにしております

高良鉄美(琉球大学法科大学教授)

 所沢の皆様、チャービラタイ(いかがお過ごしですか、の意味のウチナーグチ)。夏の間は、所沢のほうが沖縄より暑かったと思います。これから秋を迎えるころですが、まだまだ沖縄では泳いでいる人もたくさんいます。

 さて、今年の5月15日、沖縄は復帰40周年を迎えました。40年前の復帰の日は、雨が降っていました。当時沖縄で一番大きな会館であった那覇市民会館では沖縄復帰記念式典が行われていました。その隣の与儀公園では、沖縄返還協定反対県民大会が開かれていました。一見すると矛盾しているようですが、当時の沖縄の心境を表していたといえます。

 つまり、「平和憲法の下への復帰」には賛成であるが、平和憲法の理念に反する米軍基地を抱えたままの復帰を謳う返還協定には反対ということでした。「平和憲法の下へ復帰」をスローガンに行われた復帰運動の激しさは、米軍統治下の沖縄では、いかに人権侵害が多く、自治権が認めらない状態であり、平和に暮らせる状況ではなかったかを表していたのです。

 私が琉球政府立高校(今でいう県立)を卒業してまもなく、復帰の日を迎えました。その日から平和憲法がはじめて沖縄に適用されることになりました。人生の途中から、憲法によって基本的人権が保障されるということの喜びは、平和憲法の施行された1947年に日本国民が抱いた気持ちとまったく同じ、新鮮なものでした。沖縄は、四半世紀後に平和憲法の恩恵にようやく包まれることになったのです。

 しかし、復帰して、沖縄の人々が目の当たりにしたのは、安保条約を優先し、平和憲法の理念をないがしろにしようとする日本政府の姿勢でした。

 国益と国民の人権とを比較して、圧倒的に前者を優先させてきた戦前、戦中の反省が、平和憲法を誕生させたのだと思います。しかし、現在日本中で、原発や再処理問題、最終処分地問題、米軍基地問題、環境破壊など国益を優先させ、地域住民の人権をないがしろにしていく実態が浮き彫りにされています。

 これらの問題の解決にはやはり平和憲法の理念に基づいた国政が行われるべきであることを強く感じました。そして、平和憲法の理念を脈々と活性化させることこそが、あらためて主権者である国民一人ひとりの大きな役割だと思います。ウマンチュ(万人)が主役なのです。

 「ちゅら島(美しい島、清らかな島)沖縄」を「基地の島」から「平和の島」へと変えるためにも、しっかりと平和憲法を支えていきたいと思います。

 皆様とお会いできるのを楽しみにしていますので、10月訪問の際にはよろしくお願いいたします。




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太郎の部屋 ほっとたいむ 2

「父と暮せば」所沢で

鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

 井上ひさしの感動の名作「父と暮せば」が、所沢で上演される。9月29・30日、新所沢駅東口の松明堂音楽ホール(ともに午後3時開演)である。この作品は、こまつ座での初演以来、多くの劇団や個人でも、さまざまな形式で上演されている。

 ご存知のように、広島の被爆者の状況や心の葛藤を巧みに描かれた父・竹造と娘・美津江の二人芝居である。絶妙なせりふが次々と展開され、笑いと涙を誘うのである。

 今回の所沢では、劇団昴のベテラン俳優の西本裕行と若手俳優の吉田直子のコンビによるもの。せりふ劇のよさをつたえる呼吸のあった2人である。演出は河田園子。すでに何度も公演を積み重ねて、錬られてきた舞台である。

 ことしの5月にも、新宿区四谷三丁目の雰囲気のいい茶房で公演されたが、その舞台をみている。客席はせいぜい20席くらいの空間だったが、その空間をいかした動きとせりふの語りに深い味わいがあった。大掛かりな舞台セットもなく、ぬくもりのある照明が印象的であった。

 新所沢の松明堂音楽ホールの空間がどのように生かされるのか、舞台の展開が楽しみである。

*松明堂音楽ホール  04・2992・7667チケット前売り3000円(当日3500円)



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会員の投稿 1

「どこに聞いたらいいの」 バラバラな縦割り行政

塚崎公美(上山口在住)

 「さよなら原発 in 所沢」の請願を出すために、他市ではどうなっているんだろう?と、ちょっと調べました。つまり、所沢では放射線対策の窓口が部・課単位で、給食関連だったら「保健給食課」、農産物問題なら「農業振興課」、落葉の問題は「みどり自然課」で聞いてくれと、旧来のタテわりバラバラのまんまなんです。

 その点で近隣の市たとえば越谷市は「越谷市放射線対策基本方針」、国分寺は「放射能対策委員会」、横浜市なら「放射線対策本部」といったように、市によって名称はいろいろですが、横断的に一元的な組織を、昨年から今年にかけて立ち上げて、対応してきているのです。

 所沢の放射線対策は、部・課単位にそれぞれに熱心に取り組んではいるものの、すすんだ市に見られるような、横断的な対応・組織はまだ作られていないのです。我々は今日、放射能汚染という未だかつてない事態に直面しているのですから、所沢も新局面に対応する新しい組織の立ち上げを急ぐべきではないでしょうか?

 関連して注目したいのは、越谷など県東南部地域放射線対策協(5市1町)では、線量測定器、除染その他費用1億3540万円を東電に請求していることです。新組織は作らないまでも、さいたま、朝霞、上尾、蕨、富士見など、放射線対策費を東京電カへ請求する市が広がってきてもいます。




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会員の投稿 2

中国、朝鮮“国境の街”1400キロの旅

米山 淳(山口在住)

 「第5回中国東北うたごえの旅」訪中団は、7月2日〜7月8日まで、落陽・本渓・桓仁・集安・丹東・藩陽と1400キロをバスで旅をしました。

 藩陽では清朝の礎を築いた太祖・ヌルハチ、清朝初代皇帝・太宗ホンタイジが住み、北京遷都後も康煕帝、乾隆帝など清朝歴代皇帝が行幸した「藩陽故宮」(世界遺産)を参観、遼寧省外事弁公室招宴を受けたあと、翌日から、本渓・鍾乳洞、とバスの旅がはじまりました。

 車内では、韓慶愈団長の、“中国簡略字の歴史”に「ともしび・吉田正勝副団長」の高句麗の話、吉田さんの司会と田口さんの伴奏で歌の練習と盛りだくさん。街から街までの3時間、4時間の長旅も短く感じました。

 ともしびの吉田さんはバリトン歌手にならなかったら、“社会科の先生”だったと言うくらい「朝鮮の歴史」に滅法強い。紀元前34年、高句麗の始祖・朱蒙は、桓仁県(遼寧省)五女山城(世界遺産)に高句麗政権を樹立しました(日本の弥生時代)。999段の石段を登り、2000年前の城門跡などを見学し、バスは集安に向いました。

 集安(吉林省)では郊外に“好太王碑”“将軍墳”など見学、夜は農村の“福順文化大院”で「うたごえ交流」。道路沿いに赤幕が張られ、中国側がキードボード、胡弓、アコの伴奏で、“北国の春”を歌う、私達も負けじと“馬車夫の歌”を歌う。中国側が踊れば、私達も“ソーラン節”で踊ると、楽しい一夜を過ごしました。

北朝鮮領の鴨緑江を川下り

 7月6日、いよいよ国境の街「丹東」(安東)、戦前、旧満州に渡るには、山口県・下関から韓国・釜山にわたり(関釜連絡船)釜山〜新義州(朝鮮)〜安東(旧満州・現丹東)〜新京(現長春)と、「ひかり号」(釜山〜新京・現長春間)、「のぞみ号」(釜山〜奉天・現藩陽)と2本の急行列車が走り、安東(丹東)は旧満州の入り口でした。

 この大動脈にかかる鉄橋は、1950年(昭25年)朝鮮戦争時にB29の攻撃によって破壊されたままで、戦跡として残してありました。もう1本の鉄橋は修復され、中国〜北朝鮮、鉄道の物資輸送路となっています。国境を流れる“鴨緑江”の中州は北朝鮮です。

 観光船に乗って川下りをしました。中州に農民の姿がありました。牛もいました。トウモロコシ畑が広がっていました。驚いたのは“一歩跨ぎ”と言う観光名所があり、北朝鮮の中州まで4〜5メートルの距離でした。そこには、中国側の監視所がありましたが、中州はトウモロコシ畑でした。

 その夜、北朝鮮国営レストランに行きました。300から400席あったでしょうか。ショーがあり、ギターを引き、キーボードがガンガン鳴り、日本の若者たちと変わりませんでした。テーブルに食事を出すサービス嬢は全員美人で、「北朝鮮のバッチ」を付け、公務員だそうです。帰り際には笑顔で「さよなら」といってくれました。

 翌日、ガイドさんから、観光スポット「鴨緑江本流下り」の話がありました。

 中州と本流は北朝鮮領です。半分は怖怖、半分は興味津津で全員がモーターボートに乗ることになりました。

 中州では農夫が畑におり、牛、山羊はのんびりと草を食べていました。また軍の官舎がありアーチには“偉大な金正雲様…”のハングル文字が、官舎から夫人が出て来ました。私達が手を振ると、夫人も手を振って応えて呉れました。北朝鮮の本土側にいくつかの監視所があり、女兵士が双眼鏡で監視していました。労働者らしい人達10人くらいが木陰で休んでおり、手を振ると応えてくれました。数人の子供たちが泳いていました。なんと“平和なムード”なんだろうと思ったのは私一人だけではなかったでしょう。

 帰国後、“北朝鮮領に30分くらい行った”と話すと“怖く無かったか”とか北朝鮮の人は“栄養失調で痩せていないか”等など質問を受けました。日本と北朝鮮、永遠に平和であってほしいと願っています。




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会員の投稿 3

お力添えありがとう

原 緑(椿峰在住)

 「いつもありがとう。90歳になる私は思うように活動に参加できず、歯がゆい思いです一一」

 会報を配るたびに、達筆のお便りをくださる方がいます。彼女は卆寿を迎えたとか。ずっと更紗をテーマに、お弟子さん(お仲間)と染めや版画の制作をしています。

 彼女からは「たまたま手元にあったので」と書き添えられて、何度も切手のカンパをいただきました。

 世話人会議でいろいろな取り組みを決めても、それが多くの会員に望まれた方向か否か、運動音痴の私には、こうした一筆が本当に支えになっています。

 日本の憲法が九条を堅持することは、世界中が平和裏に暮らすこと、だから私は九条を守りたい…。こんな単純なしかし大きな思いを貫くのに、なんと力の要ることか。

 彼女のお力添えにほっと一息。私、やわな世話人です。




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鈴木彰の「競り合って議員の数を叩き売り」




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沖縄のオスプレイ配備反対集会に参加しました

鴨川孝司(当紙編集長・こぶし町在住)

 10万1000人が参加したオスプレイ配備反対の沖縄県民集会。本土復帰から40年がたった今も、在日米軍専用施設の74%が集中する沖縄。オスプレイの配備ノーの思いを込めた赤のシャツ、セッケン、リボンで染まった集会。

 その熱い思いのあふれる集会で、共同代表の訴えを聞く。「この大会はオスプレイ配備撤回に向けた闘いの一里塚。強行配備しようとする米国、それにものが言えない日本政府に対し、配備させない運動をしていこう」「これだけの反対を押し切って強行配備しようとする日米政府のやり方は、戦後、銃剣とブルドーザーで土地を強制接収したことと何ら変わらない」「沖縄県はいったいどこの国に属するのか。米国の植民地なのか」。

 そして、未来への発言として沖縄国際大学生の「沖縄の青い空は米国や日本政府のものではなく、県民のものだ。これ以上、このきれいな空に軍用機を飛ばすことを許さない。沖縄の未来を切り開くため、私は若者の立場から実現の日まで頑張る」との決意表明。

 アメリカでは取りやめにした危険な訓練にたいして、「『配備は米政府の方針で、日本がどうしろこうしろという話ではない』(野田佳彦首相)という国家トップの発言の、何と軽いことか」と沖縄タイムスは書く。

 本土でも7本の飛行ルート近隣の自治体が、訓練反対の声を挙げだしはじめた。沖縄の思いが共有される新たな情勢。民意を踏みにじる日米安保の存在がはっきり見え、国民の出番がきている。




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避難民の絆を結ぶ小さな通信の大きな役割(川房通信から⑤)

 月日の経つのは早いもの、原発事故で古里を追われて1年半。事故の収束も出来ず、いまだ放射能は降り注いでいる。立川市で避難生活を送り、抗議行動をする、制野耕一さんの手記を紹介する。


 残暑お見舞い申し上げます。先般の市長との懇談会並びに総会ではお世話になりました。皆様とお会いでき嬉しく、お元気でお過ごしのご様子でなによりでした。

 私達、遠くに避難している者にとっては皆さまの元気がなによりの励ましです。

 テレビで度々放送されている、総理官邸前で毎週行われている原発反対抗議集会に8月24日の夕方、坂東市に避難している黒木高子さんと参加しました。

 総理官邸周りの歩道には抗議集会に参加している人たちであふれ、前に進めない状態でした。

 そういう中で偶然、黒木高子さんと共に、NHKと関西テレビのインタビューを受けました。(内容として、今の私たちの現状や集会に参加した理由など)

 昨年発生した原発の事故で私たちは古里を追われ、家族はバラバラにされ、未だ見通しのつかない避難生活を強いられています。

 あの事故で人間は原発なるものをコントロール出来ないことが証明されました。あのような事故を二度と起こしてはなりません。自分達と同じ目に遭う人が増え、へたすれば日本、いや地球の破滅につながります。

 そして、増え続ける負の遺産、高濃度の放射性物質の処理問題、このままで良いはずがありません。

 だから原発反対、原発再稼働反対を国に届くように、実際に体験させられた私たちが強く訴えなければならないと思います。

 今の私たちの苦しみ、つらさ、虚しさ等々誰も分かりません。

 皆様には処暑とはいえ、まだまだ残暑厳しい折お体ご自愛ください。

避難生活を詠む

小高区片草 田中英敏

 原発に糧を求めて三十年石持て追わるる啄木の様
 あさましく哀れなれども朝食のコッペパン配布の列に並びぬ
 非情なり認知の老父新潟に老母は長野へ我ら残れる
 帰れたらあれもしたいこれもする帰れるあてなく消灯の頃
 高名の名湯老舗の湯の宿も二次避難なりはしゃぐ者なし
 物書きのように浴衣を着流し胡坐したまま夕餉を待てり




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「所沢・平和のための戦争展」に1300人が入場

 2012所沢平和のための戦争展が8月19日から21日まで所沢市役所1階市民ギャラリーで開かれました。核も戦争もない世界を願う会場には「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」と題して悲惨な原爆や空襲の被災写真が多数展示され、昨年を上回る1300人以上の参観者でにぎわいました。

 初日の19日にオープニングイベントとして、市内の米軍基地などを見て回る「基地めぐり」があり、所沢平和委員会の石田道男会長の案内で米軍所沢通信基地や軍事施設跡などを調査しました。親子ずれで参加した40人は、基地へ軍事物資を輸送するための鉄道引き込み線跡などを見て、朝鮮戦争、ベトナム戦争に加担した基地が市内にある歴史を学びました。

 昨年に引き続いて展示されたフォトジャーナリストの広河隆一さんの写真集「福島第一原発事故と生き物たち」は、原発事故20キロ圏内の痩せ細った動物たちや放射能検査を受ける少女や防護服姿の捜索隊の写真を展示。

 一階ロビーでは作家の高橋玄洋さんが、「ヒロシマでの被爆体験」と題して戦争体験を語りました。

 今年は「所沢にも戦争があった」と題して所沢の戦争被害を初めて取り上げ、1944年以降、数十回の米軍の空襲を受けB29が隣の東村山市南秋津に墜落したのをはじめ、民間人20人近くが亡くなったほか15年戦争で所沢から約2500人の若者が戦地に赴き、1311人が帰らぬ人となったと写真やグラフで伝えました。

 また米軍通信基地97万平方メートルの全面返還を求める資料も分かりやすく展示、多くの参観者が足を止めてメモを取っていました。




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短 信

●三ヶ島葭子講演会

9月30日(日)午後1時30分から3時30分、三ヶ島公民館 
 講師 東直子氏
「三ヶ島葭子の祈りの言葉」

●青年劇場「普天間」を所沢で公演

沖縄「復帰」40年 沖縄タイムス、琉球新報が絶賛した青年劇場「普天間」を所沢で公演
坂手洋二=作 藤井ごう=演出
11月16日(金) 18:30開演
所沢市民文化センタ一マーキーホール
前売り3800円 障がい者、学生2000円 当日4500円
問い合せ:所沢で「普天間」を観る会 大場 090−9844−6749 川村 080−2068一9577




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