機関紙79号 (2012年7月27日発行)



もくじ

「官邸を包囲せよ」その時テレビは
    岩崎貞明(放送レポート編集長)
     全国に波及する抗議デモ
     盛り上がる脱原発のうねり

さようなら原発「17万人」が集う

市民はひるまない官邸前に20万人、代々木公園に17万人…
それでも朝日、1面トップは「うなぎ」だった

    桂 敬一(元東大教授)
     戦後屈指の市民の怒り
     なぜ正面から論じないのか

鈴木彰の「マユツバの旗印だがもう一度?」

岡本厚さん(前「世界」編集長)が記念講演
6月23日、7周年総会開催


岡本厚さんの講演要旨①
     走り続けた16年
    時代に向かい合った雑誌
    「自社さ政権」とは何か
    役割果たした古老の政治家

九条を生かす
   ●「原子力基本法」にこっそりと「安全保障」を挿入
   ●政権の試金石となるオスプレイ配備

短 信
   ●高橋玄洋さんも語ります。2012所沢平和のための戦争展
   ●地元選出国会議員との討論集会





「官邸を包囲せよ」その時テレビは

岩崎貞明(放送レポート編集長)

 このところ毎週金曜日の夕方になると、東京・永田町の周辺に続々と人びとが押しかけて、首相官邸を取り囲んで「脱原発」を要求する声を上げている。この抗議活動は今年3月に始まった時は300人程度の集まりだったが、組織的な動員ではなく、ツイッターなどによる「クチコミ」で次第に参加が広がって、ついに主催者発表20万人(6月29日)に達するに至った。その後の7月6日、7月13日も15万人規模の人びとが官邸前でさまざまな抗議活動を行っている。

 一連の抗議活動は、関西電力大飯原子力発電所3号機の再稼働(再起動)に対するものだ。年配の方々には60年安保闘争を思い起こさせるような規模、しかも首相官邸に向けて抗議の声をぶつけるという直接的な行動にもかかわらず、政府は再稼動を決め、7月1日には実際に3号機が起動した。それでも人びとはあきらめることなく、週末の抗議行動を続けている。

 集まった人びとは髪をビンク色に染めた若者や、ベビーカーを押している母親、太鼓を連打している一団など実にさまざまだ。

全国に波及する抗議デモ

 7月13日の行動に際して警視庁は「事故を防ぐため」として数百人の機動隊員とバリケードで厳重に規制。抗議活動ができる場所は国会周辺の歩道上に限定された。抗議デモを主催する「首都圏反原発連合」は警視庁と協議して、官邸前と国会正門前を活動の中心ポイントとし、周辺に百人以上の誘導員を配置。警視庁は人びとの流れをコントロールしようと地下鉄の出入りロや歩道の一部を一方通行にしたうえで、一部の横断歩道を封鎖した。このため、あちこちで通行を止める警察官に対して参加者が「なぜ通れないんだ。表現の自由を守れ」などと詰め寄る姿も見られた。それでも参加者たちは、警察によって分断された隊列を「ファミリーゾーン」「給水ゾーン」「浴衣でふるさと熱唱」「盆踊りゾーン」「フォーク広場」「青年の主張コーナー」「のど自慢コーナー」などと趣向をこらして、抗議活動を楽しんでいるようだった。

 抗議デモは官邸前ばかりでなく、全国に広がりを見せている。大阪の関西電力本社前はもちろん、関電の京都支店前、名古屋支店前、また北海道庁や鹿児島県庁など、原発を擁する自治体に対する抗議行動も各地で展開されている。6月24日には、野田佳彦首相の地元である千葉県船橋市でも2000人を超える参加者による抗議デモが行われた。

盛り上がる脱原発のうねり

 さて、このように歴史的なデモを、テレビはどのように報じているだろうか。デモ参加者を警察発表の「2万人」と報じる(日本テレビ)など、その扱いが冷淡すぎるのではないか、と感じている人が多いことだろう。その中ではテレビ朝日、とくに『報道ステーション』が早い段階からこの官邸前行動を取り上げていた。6月22日には官邸の中で取材している記者が野田首相から「大きな音がするね」などのコメントを引き出したことで、「音ではなく声を聞け」と市民の怒りにさらに火をつけることになった。一方、同日のNHKのニュースなどはろくに映像も使わず、ごく短い時間伝えたのみだった。

 こうしたメディアの対応に業を煮やして、デモの全容を自分たちで上空から撮影しようという企画が持ち上がった。名称は「正しい報道ヘリの会」。脱原発を表明した吉原毅理事長の城南信用金庫に口座を設けて一般から寄付を募り、それでヘリコプターをチャーターしようというものだが、目標の100万円に対してすでに800万円以上が集まっているという。この空撮の取り組みは6月29日に行われたほか、7月16日に代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」でも実施された。

 ますます盛り上がりを見せる脱原発のうねり。そろそろテレビも本格的に報道せざるを得ないのではないか。



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さようなら原発「17万人」が集う

 原発ゼロを求める国民の意思が東京・代々木公園に結集しました。16日に開かれた炎天下の「さようなら原発10万人集会」では、参加した17万人(主催者発表)が、関西電力大飯原発3号機に続き、4号機でも再稼働を決めた野田内閣への抗議の声を上げました。

 原宿、渋谷の駅頭は、集会に向かう人びとで埋め尽くされ、会場までの長い行列が続く、「全原発を廃炉にするまでデモを続ける」と書いたプラカードを持つ男性や模造紙に「再稼働は認められない」と書いた子ども。「放射能から子どもたちを守れ」と掲げた福島県のふくしま復興共同センターから26台のバスで参加した人たち。誰もが本気で野田政権の無策と暴走に怒りをあらわにし、参加者は広いサッカー場を埋め尽くしたほか、野外音楽堂前の広場や公園内の道路にも広がりました。



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市民はひるまない官邸前に20万人、代々木公園に17万人…

それでも朝日、1面トップは「うなぎ」だった

桂 敬一(元東大教授)

 4月ごろから定例化した、毎週金曜日の首相官邸前・脱原発集会の盛りあがりが凄い。その勢いは、5月5日の北海道・泊原発停止で(定期検実施入り)、一時的ではあれ、「原発稼働ゼロ」の日本が実現、さらに7月1日の関西電力・大飯原発稼働再開を目論む野田政権の画策が露骨になるのに伴い、いっそう強まり、ついに6月29日の金曜日は、大飯再開に反対する20万人の市民が官邸前から溢れ、国会をも包囲した。

戦後屈指の市民の怒り

 そして、大飯再開が強行されても、今度はこれに抗議、稼働停止を求める市民が引きつづき官邸・国会周辺に押し寄せた。たまりかねた政府・公安は7月13日、それまで自主的に平穏な秩序を維持、現場の警官とも安全確保では協力的な関係を保ちつつ、集会・デモに参加してきた市民に向かって、突如強引な行動規制を加え、過剰警備というべき体制をとって、威嚇的な挑発を試みた。
 しかし、市民はひるまない。また挑発に乗せられることもない。

 7月16日・代々木公園における「脱原発10万人集会」には17万人を超す市民が集まった。各産業界労組・自治体職員労組や、被災地・福島をはじめとする、全国の原発所在地の市民が集う反原発運動団体の旗・幟、プラカードも多数みえ、脱原発運動の担い手が分厚く重層化していく様子がうかがえた。

 7月29日にはいよいよ「国会包囲」集会・デモが行われる。金曜・官邸前集会をスタートさせた市民たちは、実に大きなきっかけをつくったのだ。このような市民運動の事例−止むに止まれぬ思いの吐露が、同じような境遇に置かれた人びと、共通する悩みや希望を抱く市民の共感を集め、大きく発展する行動や運動を生み出した例は、戦後の全史を紐解いても、そうたくさんあるわけではない。

 1946年5月、皇居前広場に25万人が集まるデモとなった「米よこせ運動」、8月6日の広島における原爆犠牲者慰霊行事を淵源とし、第五幅竜丸「死の灰」受難事件を経て本格化した原水爆禁止運動、1960年代末の企業公害や欠陥商品・悪徳商法への反対から生まれ、発展した公害反対運動・消費者運動などが思い当たる。

 今回の脱原発運動は、これらの先駆例と同じ市民性をより強く帯び、さらに未来のエネルギー政策のすべてを問う意味を内包、混迷した日本の政治の根本を変え、世界のエネルギー政策の根幹を変革する可能性を秘めている。

なぜ正面から論じないのか

 だからおかしいと言わねばならないのだ、日本の大メディアは目前に生じているこの一大市民運動、歴史的出来事を、なぜ真正面から捉え、大きく報じ、論ずることをしないのかと。6月8日から7月16日までの市民行動を伝える、当日のテレビ・ニュースと翌日朝刊(在京紙)を見比べてきて言わざるを得ないのは、そういうことだ。「脱原発10万人集会」の報道など、テレビ朝日、TBS、東京新聞を例外とし、ニューヨークタイムズ(米)、ガーディアン(英)、ルモンド(仏)など、海外メディアのほうがよほどましだ。

 上記の間、6回あった金曜・官邸前集会に限ってみても、讀賣、日経、産経はまったく報じないか、記事を載せても片隅に20行前後だった。一方、経済成長のために大飯再稼働はやれ、という社説を載せてきたのだ。

 脱原発派のはずの朝日だってほめられたものではない。「10万人集会」を伝える7月17日朝刊は、社会面でいつもより大きく市民の動きを報じてはいた。だが、なんでその日の1面トップが「ウナギ取引規制検討……米“保護が必要”」でなければならないのか。この日の東京新聞をみれば、朝日の読者が最近どんどん朝日をやめ、東京新聞をとるようになっている理由がよくわかる。鳴呼!




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鈴木彰の「マユツバの旗印だがもう一度?」




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岡本厚さん(前「世界」編集長)が記念講演

6月23日、7周年総会開催

 「マスコミ・文化九条の会所沢」の7周年総会が6月23日、新所沢東公民館で開かれた。「今、改憲の動きが強まっています。この暗雲を吹きとばす意味で、たくさんの意見を出していただき、総会を成功させたい」と大野裕さんの開会挨拶で総会は始まり、「会」を代表して草鹿光世さんが「会が創立されたのは05年、その前の04年には改憲の動きが強まり、九条アピールが出され、たくさんの九条の会が立ち上がり、今まで改憲を許してはいません。昨年からまた改憲の動きが強まっています。今大事なことは憲法の原点に立ち返って、九条を変えてはいけないということを広げることと思います。昨夜から原発ノーのデモが官邸を取り囲みました。今日は沖縄の慰霊の日です。そこにも思いをはせながら,岡本厚さんの講演を聴き、憲法を守る力にしていきたい」と挨拶した。所沢9条連絡会浜林代表からのメッセージが紹介された。

 この後、私たちの会の活動を撮影したビデオがスクリーンに映し出された。駅頭宣伝からニュースの編集会議、世話人会議、基地ウオッチングなど多彩な活動が紹介され、改めていろいろな活動に取り組んでいることが確認された。

 講演の質疑の後、佐藤俊広事務局長から「これからの活動について」の提案がされ、「沖縄の情勢、原発再稼働を見るにつけ、日本を立て直すには日本国憲法を柱に据えて活動していくことが大事」と ①強まる改憲策動 ②改憲許さず「憲法」を生かす活動を ③会員をふやし、運動の新しい展開をはかるが提起された。

 討議で次の発言があった。

 石田道男さんは「日米安保体制が強化され、所沢の真ん中に基地があり、18回目の戦争展もあります。基地の問題も継続して取り組んでいきたい」と訴えた。

 近隣の九条の会からも発言があった。

 「ぶし九条の会」の山田さんは「毎月集まって、企画を立てて取り組んでいます。これからもよろしく」と挨拶した。

 藤田良子さんは「所沢には九条の会がいくつあるのか、その活動が見えない」と質問した。これに対し、連絡会の鴨川事務局長は「11あり、毎月連絡会を開き活動の情報交換をしています。今改憲の動きに反対するアピールを出した」と答えた。

 品川昭さんは「課題が多い中で、脱原発をもっと精力的に取り組んで欲しい。昨日は4万5千人が集まった。若いお母さんも参加してきています」と反原発への思いを訴えた。

 藤原絢子さんは「会の支援も受けてカフェ・サロンを開いています。柔らかい発想で7回目になりました。よかったねと終わるようにしています。6回目は3・11を心に刻んでというテーマでした」とさらなるサロンの充実を語った。

 練馬区の町田さん(大泉9条の会)は「大泉の会は300名近くいます。最近、原発問題、尖閣諸島問題、教育問題など広く意見を出せるように心がけています」と語った。

 西東京連絡会から参加した田原さんは、「ニュースを出しています。マスコミが市民と違う意見が報道されているのを少しでもなんとかしたい」と語った。

 討論の後、会計報告、監査報告が承認されました。最後に「沖縄の慰霊の日に連帯しようという意見も出ました。ビデオにもあるような活動を明日からも進める気になって取り組んでいきましょう」という鴨川代表委員の挨拶で総会を終えた。




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岡本厚さんの講演要旨①

 7周年おめでとうございます。多様で地道な活動をしていることをビデオで見せていただきました。このような活動が全国で行われているのだと思います。九条の会というのは7000を超えて、今の政治状況を規制する一つの力になっている。九条を変えさせないという地道な活動がそれを支えているのだと思います。

走り続けた16年

 「世界」の編集長16年、16年というのは知事なら4期、多選でもう止めろと言われる年月です。月刊誌を16年、それを結構短いと思うのは、いつも次の企画に走っている、走り続けていたからだと思います。

 45年12月、初代の編集長は吉野源三郎さんでした。「何でこんな戦争をしてしまったんだ。雑誌をつくることで、戦争をしない力としたい」と創刊。

 「世界」が長く続いているのは編集権を企業から独立させているということにあります。広告や宣伝からいろんな圧力がかかってくる。そこから自由でなければならない。それが吉野さんのお考えでした。あれをやれ、これはやるなとは言えない状況にあるようにし、信頼できる人間でなければ困ると言うことになります。

 6月23日、今日は沖縄で組織的に戦争が終わった日、中国侵略をした牛島中将が壕で自決した日と聞いています。最後の指令で死ぬまで闘えと言って死んでいった。司令官が「降伏」と言うと戦闘は終わる。それが自分は先に死んで、後は死ぬまで闘えというのは異様な形態です。沖縄では戦争が終わったのは9月8日です。それまで戦闘を続けていた。「降伏はするな、集団自決を」と命じられていたから止められなかった。野田首相が今日沖縄に行ったそうですが、沖縄県民はどんな気持ちで迎えたでしょうか。

時代に向かい合った雑誌

 70年代に、沖縄の祖国復帰、金大中事件、ベトナム戦終結があるなどデタントの時代でした。その当時「世界」には、T・K生という「韓国からの通信」が掲載されていました。私は77年に岩波に入社、安江さんのもとで雑誌「世界」の編集に参加した。「世界」という雑誌は左と言われていますが、左右というのは相対的なもので、その頃は、もっとラジカルな雑誌もたくさんありました。

 自衛隊の陸幕の広報の所に行ったら、中道左派的な雑誌ですねと言われた。今、ジャーナリズムが衰退してしまって、惨澹たる有様になっています。残った雑誌も何をやったらいいか、分からない状況にあります。その中で「世界」は一種の公共財というか、公論というか、公の議論が出来るものになっていると思います。「この国、この社会はどうあるべきか」と言うことを、原発の問題、沖縄の問題、朝鮮問題など、真剣な議論が出来るためには自由でなければいけない。経済的な思惑とか、部数がいくら出るかとかではなく、自由な議論をして誤ったこともあるかもしれませんが、時代に向き合った雑誌が出来ると思っています。

「自社さ政権」とは何か

 それでは今、どういう時代に向き合っているのかに話を進めたい。私が編集長になったのは96年、冷戦が終結し、ソ連が崩壊していく時でした。国内では自社さ政権、それまでの自民党・社会党という構図が壊れて、自民党の一党支配が壊れて、連立政権の時代が始まりました。冷戦という世界の構造の崩壊が、あったからと思います。2009年に政権交代をして、民主党の政権が出来ましたが、今はその時より悪い状況になっていると思います。中には立派な人もいますが、全体として政党としての体をなしていないのです。理念・構想がないばらばらです。

 民主党も自民党もそうです。共産党、社民党は党としてそれなりの形はあるけれど、全体としては小さくなってしまっている。冷戦が終わって、訳の分からない人たちが政治をしている。それで、この20年間進んできた。

 決められない民主主義になり、決められる民主主義と言うことで大阪の橋下さんのような人がもてはやされるようになる。野田さんが原発の再稼働を決めると、決められる民主主義だと大新聞がもてはやす。決められればいいのか。内容が問題であって、決めればいいという問題ではない。非常に深刻な問題だと思います。政党が政治を行って成り立っているのが民主主義社会、政党が体をなさないのですから、どういう時代なんだろうかと思います。民主党政権は一年持たずに崩壊するでしょう。そのあとどうするかということを考えておかなければいけないと思うのです。もう1回一から始めなければいけないと思うのです。民主党は10年ぐらい準備したはずです。それがこうなった。何がまずかったのか、よほど考えないと次は踏み出せないと思います。

 戦後60年経っているのですが、それが崩壊の時代に来ているのかもしれない。失われた20年といいますが、冷戦が終わって20年、グローバリゼーション、新自由主義、新保守主義、権力的な政治の時代となっています。

 アメリカでもヨーロッパでも、格差が広がり、それが自己責任だという時代になりました。日本では今、労働者と経営者の所得の格差は40倍と言われています。以前から見れば、非常に広がったのですが、世界的に見ればアメリカなど何百倍も開いています。その金は株に投資され、それが世界中を回って、バブルを起こして破綻する、くりかえす。働く者たちは塗炭の苦しみにあえぐわけですけれども、株は自由であるべきだと、未だに金融の規制は出来ていない。ヨーロッパやアメリカも含めて、悪い時代にあります。リーマンショック級の事件がもう一度来るだろうと言われていますが、それはこのような経済思想が生み出したもの、冷戦といった社会構造がなくなったために引き起こされた問題と思います。

 それが変えられるかどうか、というところに来ています。日本では、政党のことを言いましたが、中間団体・労働組合とか自治体、各種団体のロイヤリティがなくなってきた。前はそれがいっばい積み重ねって自民党とか社会党とかがあった。それが全部崩れてきてしまって、全部個人に分解してしまった。建設業界の人は自民党に投票しろと言われても投票しなかった。労働組合もそうです。中間組織が崩壊してしまったのです。

 風が吹くと、民主党に、ある時は維新の会に、つぎはどこどこにと、砂のように浮遊するという時代になってきた。ある意味では自由に、しかしある意味では、非常に怖い時代になる可能性もある。

 だからこそ、政党は崩れてきたのです。民主党が好きだという人はいなかった。流れていく。それをメディアがあおったりしていく。それを政党が迎合していく。不毛なものですが、社会の構造がそういう風にさせているのだと思います。

 20年で、人々の気持ちが内向きになっているということです。あまり外国のことに関心を示さなくなっています。60年代ベトナム戦争の時は、戦争止めるとデモをした。70年代、80年代でも、金大中が死刑になりそうになったとき、デモをし抗議をした。隣の国のことに関心を示した。それがなくなってきました。アメリカ、中国に対してすらそんなに関心を示していない。これだけグローバリゼーションが全盛になり、たくさんの人が外国に出かけている、外国人と結婚したり勉強しているのに関心がないのです。これも今の時代の特徴だと思います。

役割果たした古老の政治家

 沖縄についても基地の問題について関心と共感を示しているのだろうか。自分のことは自分でと自己責任をずっと言われていると、他者に対する共感というのはなくなっていくのでしょうか。そういう時代の中で、こういう問題はこの人というのがなくなり、違ってきた。羅針盤がないと近い人が遠かったり逆だったり、戸惑うことがあると思うのです。革新と保守でもそんな色分けだけでは分からない。後藤田さん、宮沢喜一さんの意見を聞くことがあったりして、こういう人も憲法を守る上で役割を果たしてきたんだなと思うのです。晩年、後藤田さんがテレビに護憲派の一人として出てきたとき、そういう人たちと主に対立したかのように見えて、実はそうでないような気がします。民主党の中にも、改憲を言う人も平和運動をやってきた人もいる。一人一人を見なければ分からない。難しい時代になってきたと思います。

 70年代、金大中拉致事件があり、関心を持ちました。韓国の野党の指導者がKCIAに拉致された。一体何が起きているのだろうと勉強しました。徐勝さんという在日の方で、韓国に勉強に行って捕まって、釈放されて出てきたときは全身火傷で、すさまじい姿で出てきたときには、隣の国で何が起きてきているのだろうと勉強しました。後に金大中大統領に韓国でインタビューしました。徐勝さんも日本で立命館大学の教授になりましたが、あとで生きてあえるとはとても思えなかった。それだけ厳しい、殺されたり拷問されたり、何十年も獄中にいるという時代でした。

 死刑囚だった金大中氏が大統領になったのですから、革命を起こしたのです。98年インタビューをしたときは、朝鮮半島は和解の時代に入ったと思います。南北の首脳会談をやりました。2000年、国内でもかつての軍政時代の問題でも和解をしていこうとの政策をとったのです。日本に対しても、太陽政策は向けられたのです。戦後賠償の問題も同じだった。その先、どうすべきかは日本が考えて下さい。あなたたちの問題で、我々はそれを信じている、と日本の文化も開放します。グリーンミーン、冷戦時代ではないんだ。どちらが勝つかではない。どちらも勝つそういう時代なのだと、それを掲げたのです。

 ある人はこれを見て、南北はゆっくりだけど、統一の時代に入ったといいました。2002年にはワールドカップの共同開催があり、日韓関係も変えた。日本の映画も韓国に行き、韓国の映画も日本に来た。韓流といわれるドラマが日本にきた。それ以前には考えられなかったこと。一種の民主化と和解の政策によって、希望の時代だった。

 2000年から7年、朝鮮半島では和解の時代が花開いた。暗転したのは李明博政権の誕年だった。歴史というのは直線的には進まないものなんですね。一種の反動の時代がきたと思います。9・11事件があり、小泉首相の訪朝、これは和解政策の一端だと思います。そこで拉致疑惑が事件となり、国内では激しい北朝鮮バッシングが行われ、その頃からアメリカも戦争の時代に入っていきます。2003年にはイラク侵攻をしたのです。一種のバックラッシュ、緊張の時代に戻っていったように思います。悪夢のような感じを持ちました。なぜそういうことが起きてしまったのか。それはアメリカの主導権が弱くなっていくのを、もう一回巻き返そうとした。それがイラク戦争だったのではないのか。
(次号に続く)




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九条を生かす

●「原子力基本法」にこっそりと「安全保障」を挿入

 改憲をめぐって、いくつもの動きが出ています。今進められている衆院憲法審査会の議論では、その進め方について、各条項に照らし現実にどのような問題があるかを検証することを求める論点整理と、改憲に向けた各党の違いが表面化したまま、議論、が進行しているかに見えます。また、国会に突如出され審議時間も短いまま採択された「原子力基本法」には「我が国の安全保障に資することを目的とし」の文言がこっそりと挿入され、世界平和7人委員会が「国内外から批判を受け、国益を損ない、禍根を残すものと考え、中止を求める」との緊急アピールを出しています。

 また、集団的自衛権の扱いについて、政府の国家戦略会議の「フロンティア分科会」が「全く異なる時代状況下で設けられた政治的・法的制約を見直す」とし、行使を容認する必要性を提起しています。福島原発事故を理由にした「緊急事態条項」を憲法に追加する動きもでています。

 集団的自衛権について、「産経」の主張は「当たり前のこと決断急げ」と題して、報告書について野田佳彦首相が、9日の衆院予算委員会で「提言も踏まえながら政府内での議論も詰めていきたい」と語ったと報じ、「初めて日米両国が対等な相互防衛体制を確立できる。それだけに野田政権による行使容認の提起を高く評価したい」と持ち上げています。

●政権の試金石となるオスプレイ配備

 こうした一方、17日の「朝日」は「オスプレイ見直し要請否定 首相『日本が言う話しではない』」の見出しで、野田佳彦首相は16日、米軍が沖縄に配備予定の新型輸送機オスプレイについて「配備は米政府の方針であり、同盟関係にあるとはいえ(日本から)どうしろこうしろと言う話では基本的にはない」と述べ、日本側から見直しや延期は要請できないとの認識を示した。フジテレビのニュース番組に出演して語った」と伝えています。

 沖縄県の琉球新報と沖縄タイムスは、県民の大多数が反対しているオスプレイの配備について、仲井真知事が「米国の意向に添いオスプレイの普天間基地配備を前提に説明する森本大臣に対して拒否の姿勢を示し、会談後の記者会見では、配備を強行して事故が起きれば『全基地閉鎖という動きに行かざるを得ない』とまで発言している」と報じました。ここに見られるのは、野田首相の進める方向が、日本の進路と平和の問題で国民の意思がどこにあるか、憲法が何を基本としているかは軽く見、孤立化を自公両党の力を借りてしのぎ、アメリカの政策にべったり付き従って政権の延命を図る、という態度です。

 世界の流れは、アメリカが進めてきた戦争政策が破綻し、戦争をなくすために友好を土台とする外交を進めていく流れとなってきています。「戦争放棄」を謳った日本国憲法の先駆性も新たな光を増しているときです。国民主権を高らかに掲げ、民意を無視する政策を許さないたたかいを、大きく広げて行くことが求められているのではないでしょうか。

編集長 鴨川孝司




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短 信

高橋玄洋さんも語ります。2012所沢平和のための戦争展

日 時:8月19日(日)〜21日(火)9時〜5時まで、最終日は4時
会 場:所沢市役所1階「市民ギャラリー」
広汎隆一さんの福島原発関連写真20枚も展示します。
19日(日)オ一プニングイベント 基地めぐり(ウォッチング)9:30〜航空公園駅東口ロータリー「花時計」前集合「米軍所沢通信基地」の存在、その歴史や現状を知りましょう。
12:00 戦争当時の「すいとん」の試食
オープニング 平和の歌声
13:00 お話しと紙芝居(話し手高橋玄洋さん大井芳文さん他)

●地元選出国会議員との討論集会

「子どもたちの未来のために今なすべきことは何?」
出席議員 小野塚まさとし氏(民主)、塩川てつや氏(共産)、柴山まさひこ氏(自民)、西田まこと氏(公明)
日 時:8月26日(日)13:00〜16:30
会 場:所沢まちづくりセンター・ホール(旧称所沢市中央公民館)
参加費:無料 保育有り 手話通訳有り
主 催:「所沢・子どもの未来と教育を考える会」(連絡先 中山2948−6055)
    「所沢・教育と福祉を間い直す会」(連絡先沼尾2942−5405)




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