機関紙70号 (2011年10月19日発行)new!



もくじ

原発事故とメディア 役割を果たせるか
   藤森 研(専修大学文学部教授)
    問われるメディアの調査報道
    不足している現場への執着
「原発さようなら」集会に6万人
      目立った子ども連れの母親と女性の参加
「脱原発」1000万署名と、大阪・教育基本条例案に対する声明」
   マスコミ・文化 九条の会 所沢
避難民の絆を結ぶ小さな通信の大きな役割(川房通信から 2)
    「川房通信」は希望を照らす一筋の光
「川房通信」編集者の中里範忠さんは職場の2年後輩
   鈴木絢子(中新井在住)
鈴木彰の「汚泥からチョイと出ました新政権」く
新連載「安保条約徹底検証 3」
    所沢米軍通信基地全面返還めざして
池田義明さん、基地全面返還の展望を語る
悪魔に付け込まれた原子力発電所
   藤巻忠雄(中新井在住 元大学教員)
    この国の負を子ども、孫に残すな
民主党、「武器三原則」見直しを確認
「九条を生かす」
   ●大震災の復旧・復興省みず、改憲論議始動の異常さ
   ●憲法九条は目の上のこぶか
    編集長 鴨川孝司
「放射能線量計購入カンパ」に11万7605円
BOOK REVIEW
  人間と環境への低レベル放射能の脅威 福島原発放射能汚染を考えるために
   ラルフ・グロイブ アーネスト・スターングラス著
   肥田舜太郎、竹野内真理 翻訳
短 信
   ◆「脱原発」でひらく新しい日本く
   ◆lO.21国際反戦デー埼主県中央集会
   ◆革命歌・労働歌をうたう会
   ◆所沢・うたごえ喫茶 LOVE&PEACE 11月例会
   ◆映画人九条の会7周年記念
    最新ドキュメンタリー映画「バベルの塔」上映と原発問題を考える集い




原発事故とメディア 役割を果たせるか

藤森 研(専修大学文学部教授)

 3月11日の大震災で、福島第一原子力発電所の炉心溶融事故が起きてから、7ヵ月が過ぎた。しかし、あの3月中旬の数日間に1〜4号機で何が起きていたのか、初期対応は適切だったのかなど、まだまだ十分には分かっていないことが多い。

 人々に知らされて当然の情報を、報道は今なお満たしていないように思う。

 その原因の一つは、炉心が見えない原発事故特有の壁だ。圧力変化から水位を推定するような状態だから、東京電力自身にもわからないことがある。

 第二の原因は、東電や政府は分かっているのだが政治的思惑などで隠している部分もあろうことだ。「緊急時迅速放射能影響予測システムし(SPEEDI)」の発表遅れなどはこれに当たる。

 第三の原因は、そうした東電や政府の不十分な情報開示姿勢を突き破り、人々の知る権利に資するべき社会的役割を持つメディアが、十分にその機能を発揮しえていないことだ。

 政府や東電は分かっていたのに、発表が過小だったり遅延したと見られる三つの事例について、その報道を検証してみたい。

 まずSPEEDIの問題である。放射能の高濃度汚染域が北西に伸びたSPEEDIの結果を、政府の原子力安全委員会が発表したのは事故後10日以上たった3月23日だった。もっと早く発表していれば、北西方向へと避難した事態は、防げただろう。

問われるメディアの調査報道

 この点でのメディアの対応はどうだったか。子細に見ると、政府の公表前日の22日に「被曝予測公表せず、研究者らが政府批判」(朝日)、公表当日の23日朝刊には「拡散予測、公表されず文科省対応に専門家批判」(読売)といった公表を促す記事が載っていた。だが上記の記事はいずれも中面2段見出しで、目立つ扱いではなかった。追及は遅く、十分だったとも言い難い。

 次に、原子力安全・保安院の国際事故評価尺度による福島原発事故評価である。保安院は3月12日に暫定的に「レベル4」、同18日に「レベル5」とした。海外から過小評価批判が起き、保安院もそれは知悉していた。しかし、「放出放射能の解析結果からレベル7」とようやく修正をしたのは、4月12日だ。

 この点では、日本の新聞は健闘したといえる。たとえば朝日新聞は、専門家などの取材を踏まえた独自の判断で、「少なくともレベル6相当」という記事を早くも3月25日に掲載した。

不足している現場への執着

 第三は、原子炉の状況だ。保安院は当初「炉心溶融の可能性が高い」とし、各紙も3月13日に「炉心溶融」の大見出しを掲げた。しかし東電はその後、ニュアンスの軽い「炉心損傷」という用語を使い続け、5月になってから、ようやく「早期に炉心溶融、メルトダウンが起きていた」と正式に認めるに至った。

問題はその間だ。東電が炉心溶融という現実を曖昧化しようとするのであれば、メディアは逆に「溶融」であることを調べ、明確にしていくべきだった。

 しかし現実には5月まで「溶融」と「損傷」が並行する、ある種「中だるみ」の時期が続いてしまった。

 これらを公正に見れば、「メディアは大本営発表だけ」といった一面的な批判は当たらない。しかし、真実に迫り得たとも言い得まい。

 いまメディアに最も物足りなく感じるのは、現場への執着のなさだ。福島第一原発という「現場」は厳然と存在しており、そこには事故炉を毎日見続けている発電所員や労働者が大勢いるのだ。取材は必須である。ジャーナリズムとしての主体的な入域判断を怠り、政府の言うがままに「20キロ圏には立ち入らない」というメディアの現状を、藤田博司・元上智大教授は「コンプライアンス・ジャーナリズム」だと皮肉った。たしかに、ジャーナリズムが「よい子」になり過きては、役割を果たせない場合がある。
(元朝日新聞編集委員、新聞労連委員長も務めた)



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「原発さようなら」集会に6万人

目立った子ども連れの母親と女性の参加

 大江健三郎さんなど著名人9人が呼び掛けた「さようなら原発5万人集会」が、9月19日、東京・千駄ヶ谷の明治公園で開かれました。所沢からも参加しようと、年金者組合の仲間にメールで呼びかけました。

 それに応えて当日、年金者組合、新婦人、平和委員会などの31人が集まり、電車で明治公園に向かいました。その内の多くは、「マスコミ・文化 九条の会 所沢」の会員でもありました。

 千駄ヶ谷駅には午後1時前に着きました。しかしホームは参加者で溢れ、電車を降りてから改札口を出るまで30分もかかりました。会場に着くと、すでに会場がいっぱいで入場できませんでした。

 この集会は、5万人が目標でしたが、実に6万人が詰めかけた。それだけ、国民の間に、原発からの脱却を望む声が強いのでしょう。

 私たちは会場に入れず、会場手前の公園で待機しました。ここも参加者で溢れていました。

 集会終了後、私たちは、市民団体の列に加わり、新宿駅までデモ行進しました。子供連れや若者たちと一緒に「原発さよなら」「子どもを守れ」、「畑を守れ」、「大地を守れ」、「福島守れ」と声の続くかぎり訴えました。ビルからは手を振って応えてくれる方もいて、元気づけられました。久しぶりに、会場に入りきれない参加者、沿道の声援など受けた充実した一日でした。(大関俊雄、北秋津在住)



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「脱原発」1000万署名と、大阪・教育基本条例案に対する声明」

【「脱原発」1000万署名の取り組みについて】

 福島の原発事故から7ヵ月。依然として収束のめどがたたないなか、原発を再稼動させる動きさえあります。しかし、人類と原発は共存することができません。既存の原発の廃炉と、自然エネルギー中心の社会を求める「1000万」署名が呼びかけられており、私たちの会としても積極的に取り組んでいきたいと思います。

【「大阪の「教育基本条例案」についての声明】

 「政治には独裁が必要」と公言してはばからない橋下府知事率いる「大阪維新の会」が、6月の「君が代条例」につづいて「教育基本条例案」を9月府議会に提出しました。戦後教育を否定するこのような事態に、会として抗議の声明を発表しました。以下に全文掲載いたします。

教育に政治介入する「大阪維新の会」の条例案に反対する

 大阪の橋下知事率いる「大阪維新の会」は、教職員に「君が代」を強制する「君が代条例」を6月に制定したのにつづいて、「教育基本条例案」「職員基本条例案」を9月府議会に提出し成立をはかろうとしています。この条例案では、知事が公立学校の教育目標をさだめ、目標実現の責務を果たさない教育委員の罷免、全校長の公募、3年連続定員割れの高校の統廃合、教職員を5段階に相対評価し2年連続最下位となった者を免職、職務命令に5回、同じ職務命令に3回違反した教職員を免職することができるという内容になっています。

 戦後教育は、戦前、国民を戦争に動員するうえで教育が果たしたことへの反省から、政治が教育に不当に介入することを否定してきました。国や自治体は教育の条件整備を行い、教育内容は教師が生徒と向き合うなかで試行錯誤を通して決定されるものです。「大阪維新の会」の条例案は、戦後確立してきた教育原理を破壊するものです。

 こうした事態に、大阪教職員組合、大阪弁護士会、府立高校の校長、PTA役員など、立場を超えて批判の声が広がっています。また、橋下知事の肝いりで教育委員になった陰山英男氏(立命館大学教授)をはじめ、府の教育委員全員が反対しています。日本ペンクラブ(浅田次郎会長)は、9月26日、「反対声明」を発表し、条例案を撤回するよう求めました。君が代条例については、憲法19条が定める「思想・信条の自由」にたいする重大な侵害として、映画監督の山田洋次さんや作家のあさのあつこさんら51氏の呼びかけにこたえて653名(第1次分)が賛同しました。しかし、「政治には独裁が必要」と公言してはばからない橋下知事は、大阪府民をはじめ広範な反対の声を無視して、強行する姿勢をくずしていません。

 今年は「満州事変」から80年にあたりますが、憲法9条は、中国・朝鮮などへの日本の侵略によって、アジアで2000万、日本でも310万人の戦死者を出した戦争への深い反省のうえにつくられました。あの無謀な戦争に国民を駆りたてるうえで、新聞や放送、出版などが果たした役割とともに、子どもたちを軍国少年に仕立てた「教育」の恐ろしさを考えるとき、私たちは、日本国憲法、戦後教育を真っ向から否定し、為政者の意のままにしたがう学校現場をつくる、「教育基本条例案」の撤回を求めます。

 私たちは、教育への不当な政治介入に反対し条例案撤回を求めている人びとへの連帯を表明します。また、埼玉や所沢でこのようなことが起きないよう注意を喚起し、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」(改正前「教育基本法」)が実現され、子どもたちのすこやかな成長がはかられるよう市民のみなさんといっしょに運動をつづけていくことを表明します。

2011年10月15日 「マスコミ・文化 九条の会 所沢」




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避難民の絆を結ぶ小さな通信の大きな役割

「川房通信」は希望を照らす一筋の光

川房通信から 2

 史上最悪の原発事故から7カ月。いまなお原発4機の事故は収束せず、放射性物質を放出し続けている。そして、避難区域の人々の暮らしは破壊されたが、明日の希望に一筋の光を投けかけるのが「川房通信」である。その奮闘ぶりは、9月13日、NHKの首都圏ネットワークで7分間放映された。番組の冒頭に川房の位置図が示され、紙面や編集者の中里範忠さんらが全国各地に散らばった地域の人々に馳せる思いを語った。テレビ放映の影響で支援の切手や現金があいついでいると通信は伝えている。

 コミュニティーが破壊されると絆を繋ぐ手段は個人の努力しかなくなる。メディアとはいかに脆弱で一方通行の情報伝達の手段であったかを原発事故で思い知る。

 「川房通信」の続報を掲載する。テレビでも語った横田芳朝さんの手記を少し長くなるが紹介する。

 「本当ならば今頃は、みんなで盆道刈りをやったりお墓をきれいに手入れをしたりして、ご先祖様を迎える準備をする頃なのですが、地震で倒れたお墓を直す事も出来なく、ましてや花一本をもお供えすることが出来ないのが現実です。

 一時帰宅ということであらかたの人は自宅へ入られたんと思います。草ぼうぼうの荒れ果てた我が家を見たときに、怒りをぶつける矛先も考えつかず、立ちすくんでしまったのではないでしょうか。

 4・5マイクロシーベルト。これは7月31日に一時帰宅した際の私宅の前庭の放射線量です。家の中は2・6、後ろの杉林の中は8・5でした。前から聞いていた値より若干下がった数字だったのですが、南相馬市では一番高い数字かと思われます。

 国は、住民が戻れる目安としているのは年間20ミリシーベルト。そこから逆算すると、前の庭で2・2マイクロシーベルト以下でないと入れられないことになる。

 国が考えている除染を川房に当てはめると、川房の山の木をすべて切り倒し、豊かな田畑の表土も剥ぐことになるが、果たしてそこでの生活が可能なのか。

 どう考えても現実的な方法ではない。いい除染の方法が見つからない場合は2〜3年は帰れないことが本当になりそうな気がしてならない。

 こんなひどい仕打ちを受けながら、怒りを胸にしまっておかないで、いろんな場所にぶつけ、故郷のおかれている窮状を外に向けるべきだと思います。

 私は埼玉県での避難生活ですが、福島県や東北以外の日本は全く平和です。電気も普通、食べ物も産地を選んで自由に食べられるし震災前と何ら変わっていません。関西だともっと遠い国の出来事かくらいの話だと言われています。一日も早くもとの川房、もとの小高にするようお互いに力を結集したいものだと思います」と訴える。

 8月まで過ごした高崎市から成田市に転居し、避難生活5カ月になる飯崎忠雄さんは、「この年になってアパート暮らしになるハメになるとは思ってもいませんでした。情けないやら悔しいやらで、原発を押し進めてきた国や東電に怒りがこみ上げてきます。

 7月に4ヵ月振りに一時帰宅しました。家は荒廃し、庭や畑は2メートルを越す雑草に覆われていました。牛もチラホラ。予想していたもののあまりの変わり様にショックを受けて帰ってきました。放射線量も家の周りで、4・6マイクロシーベルと高いレベルにあり、当分川房には帰れないことを実感しました」と憤りをあらわに、政府に「ふる里回帰」を強く訴えている。

 バラバラになった避難住民の絆を繋ぐのは、行政やメディアではない。一枚のA4判の手作りの「川房通信」だ。避難住民の塗炭の苦しみに私たちは何ができるのだろうか。




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「川房通信」編集者の中里範忠さんは職場の2年後輩

鈴木絢子(中新井在住)

 大震災の2日前、気味の悪い大きな地震が4回もあり、裏山では野猿が怯えて奇声をあげていたそうです。大震災の前日、老人会の会長であった彼は、年寄りを引き連れ日帰り旅行に行きました。彼は、その旅行会の席で「自分が生まれた年1938年の11月5日に東北沖大地震M7・4があって、大地震の周期は約70年と言われているから、大地震が近く襲ってくるのではないか」という話をして、その翌日の11日に大地震を迎えることになります。本当に大震災が襲ってくるとは夢にも思いませんでした。

 南相馬市小高区川房は、第一原発から15キロです。原発の大爆発で、12日に緊急避難指示が出され、村中が大混乱、命からがら、散り散りに避難するという中、彼は、在職中に住んでいた埼玉県三郷市へ避難しました。

 大災害で家も故郷も失って茫然自失、特に年寄りは生きる希望を見失っていました。その中で、つながりを取り戻し必ず元気で故郷に戻ろうと川房通信を始めました。

 当初は消息欄が主でしたが、今は損害賠償の手続など、広報紙の役割もはたしています。「元気で川房で再会しよう」を合い言葉に、バラバラになってしまった75世帯は、今消息を確かめ合いながら地域の絆を取り戻してきています。

 この通信紙は、読売新聞に5回連載され、NHKテレビでも放映され、全国で注目されています。

 半径20キロ圏内というと、仮に渋谷駅を中心とした場合南から時計回りで新子安・百合ヶ丘・府中・朝霞・鳩ヶ谷・亀有・小岩・浦安・東京湾を結んだ線内。所沢をかすっているので、30キロ圏内の計画的避難区域と緊急時避難区域には、所沢も入ってくる。

 人が住まない市街地がどんなになるか想像してみてください。「自分の家に入るのに、なぜ『承諾書』を書かなくてはいけないのか。なぜ土足で入らなければいけないのか、悔しい思いでいっばいでした。」一時帰宅の心境を伝える通信。10月30日福島市で「なくせ原発安心して暮らせる福島県を」の集会が開かれます。




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鈴木彰の「汚泥からチョイと出ました新政権」




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新連載「安保条約徹底検証 3」

所沢米軍通信基地全面返還めざして

 日米安保条約と在日米軍基地は密接な関係にある。第三回目は「所沢米軍通信基地」を検証します。以下の文章は、1963年から営々と毎月発行されてきた元県議・池田義明氏の「基地問題資料」をもとに編纂された「所沢の米軍基地と返還運動」からのほんの少しばかりの抜粋です。

1、所沢基地の変遷

 在日米軍基地は、1945年日本の降伏で占領軍が進駐したとき、その主力部隊がアメリカ軍であったことから始まった。進駐した占領軍は当初、敗戦後の各地の復興作業に従事したこともあった。

 アメリカ政府は1948年、ソ連との対立が厳しくなり、アジアで中国革命が近づくと、占領政策をポツダム宣言の実施(日本の民主化、非軍事化)からはずれた。そしてソ連や中国革命などに対抗するために日本を米軍の最前線基地にするという方向に急転換させた。

 全国名地に米軍基地を建設する部隊として活動した所沢の米軍基地は、占領当初から米陸軍が使用していたが、1967年にその一部に米空軍の通信基地が設置され、1970年には陸軍の医療廠が閉鎖、71年6月、米陸軍使用部分は日本政府に返還、現在は米空軍通信基地となっている。

 その使用の歴史は本土各地の米軍基地建設一朝鮮戦争支援兵姑基地一極東最大の兵器廠一ベトナム戦争での陸軍医療廠一核戦争の対ソ探知基地一核攻撃の司令基地へと変遷し、ソ連崩壊後は「世界各地で発生する地域紛争に、どこへでも駆けつける空軍」に再編成された横田基地の通信施設(送信)となっている。

2、基地の全面返還は市民の願い

1. 1967年の3月12日の市民大行進にあたって新井萬平市長が全世帯に配布したパンフレットには「私たちは、所沢に基地のある限りこの返還運動を推進する決意を固めましょう。それは私達自身のためであり、又私達に続く子供達のためでもあるからです。市民の皆さん、平和な郷土のために所沢基地の返還を推進していこうではありませんか」と書かれていた。

2. 1971年6月30日、返還式が午後2時から行われた。パーティーがあり散会。しかし、40%の通信基地が存在する。全面返還は私達の悲願である。この日はさらに全面返還を強く盛り上げる祈念すべき日となった。

3. 沖縄市との連携は1974年、沖縄市から「両市が提携して0THレーダー撤去運動を進めたい」と申し入れがされ、所沢市側も「現在、県内他市への協力を申し入れているところでもあり、連帯する方向で進めたい」と応えた。それは、沖縄・所沢市長共同声明となり、その後の所沢市議会の沖縄に関する決議・意見書と続くのである。(鴨川孝司)




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池田義明さん、基地全面返還の展望を語る

 元県議の池田義明さんを訪ねました。「私は85才を過ぎているので、あまり出しゃばった形ではなく」とことわった上で、次の話してくれました。

 「航空発祥100年というが、100年間のうち40年は陸軍の飛行場ですよ。軍都所沢があり、後の60年はアメリ軍基地。でも部分的返還を勝ち取って航空公園になっての30年があります。

 終戦の時、日本軍の軍人が下宿していた400軒の下宿屋から故郷に帰っていったから、町中の下宿屋がばたばたと倒れ、40年の軍都は壊滅した。

 今度はアメリカ兵が来たから、パンパンガールが集まってきた。アメリカ兵による犯罪はふえた。アメリカの町になった。アメリカにもうけさせてもらった。ところが、朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需で、日本の産業が復興した。駐留軍の撤退が始まった。とたんに、儲かったものたちが儲からなくなったから、あの基地を返してもらって、いかにいい町を作ろうかと始まったのが基地返還運動です。

 返還運動は基地を何に転用しようかということから始まりました。今考えているのは、こんなにも基地返還闘争が盛り上がったときはないですよ。方針は所沢基地協議会、埼玉県基地協議会が作った、部分返還から全面返還へ、どこからみたって非の打ち所のないものです。各界各層、商工会議所、青年会議所、地区労から婦人からとこんなに全部が入っているところはありません。

 いま、中央に道を造ると言うことで、多くの人が頑張っています。南側施設は全部あけますといってきました。これは夢にまで見るくらい大きなことです。これは歴史上かつてないことです。ところが、工事をするのは数年先ということです。そうすると完成まで5〜6年はかかるということになります。

 問題は実行させると言うことです。あの道路返還の署名運動をしたのは、そばの町内会だけ。松本元伸という町内会長が持ってきたものだけです。非核の平和都市宣言を作って20年になります。今ある所沢市の力で、財産とも言うべき積み重ねられた力を今こそ集めて、運動を進めてほしいのです。市民大会でも開いて、基地対策協の会長として20年も頑張ってきた木下宏さんにおめでとうといって、頑張れ、頑張ろう、と、そうしたことを期待しているのです。




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悪魔に付け込まれた原子力発電所

この国の負を子ども、孫に残すな

藤巻忠雄(中新井在住 元大学教員)

 敗戦時66年前は、電気と言えば電灯のことで、しかも一家に1、2灯しかなかった。今では、たらい・せんたく板から電気洗濯機、まき、鉄釜から電気釜、うちわ・火鉢から電気冷暖房機へと私達は電気万能の生活にどっぷり浸かっている。

 一方、地球上では電灯もない生活をしている人間が未だ数多くいる。先ずは一人一人が節電しなければ申し訳ない。

 電気を使う側からは、この電気は原子力発電、火力発電そして水力発電からなのか区別が出来ないので、ただ便利さから原子力発電は安全だと言われるままに宣伝に乗せられたのだった。まんまと悪魔に付込まれたのである。3・11の悲惨さを見れば良く分かる。

 元々、原子爆弾と原子力発電は同じ原理のものであり両方とも人間の使うべきものでは無かったのである。原子力発電は危険だけではなく、これによって生じる放射性物質の処理・廃棄が大問題なのである。今注目されている放射性セシウムにしてもその半減期(放射能が半分に減るまでの時間)は実に30年である。

 今あるこの国の莫大な借金に加え、原子力発電で生じる放射性廃棄物を私達の子、孫の世代へ残してはならない。

 政治家は自分の党の事だけを考えるのではなく、国の借金は速やかに無くす努力と共に、原子力発電所はドイツにならって日本の国土から無くすべきです。そのためには徹底的な節電と再生可能エネルギーへの転換が必要です。先ず火山国の利を活かし国立公園の景観うんぬんではなく適地に地熱発電所をどんどん建設してはどうでしょう。




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民主党、「武器三原則」見直しを確認

 憲法の平和原則に基づき、武器輸出を禁止する「武器輸出三原則」について、政府、与党内で見直し論議が活発化している。

 民主党政策調査会は10月13日の役員会で、平和構築や人道支援を条件に防衛装備品の共同開発や輸出が可能になるよう武器輸出三原則の見直しを政府に要求することを決めた。

 すでに、前原誠司政調会長が9月にワシントンでの講演で「三原則」見直しを提起し、「日米同盟の深化」を主張している。今回の見直し確認はその延長にあるが、「原発」の輸出と合わせて、国民の反発は必至だ。




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九条を生かす

●大震災の復旧・復興省みず、改憲論議始動の異常さ

 野田首相は9月15日の参議院の代表質問で、中曽根弘文参議院議員(自民党)の「改憲を本気でめざすのならともに議論をつくしたい」との質問に「改憲には持論がある。しかし、首相として現行憲法の下で最善をつくす決意だ。震災復興、原発事故収束をはじめ喫緊の課題が山積するなか、野田内閣としては改憲が優先課題とは考えていない」と答えています。

 確かに、山積する問題への対応に追われ、このような態度を示していますが、その背後では改憲策動のうごめきが強まっています。

 その一つが、自民党・民主党を中心にして、大震災・原発事故を口実にした新憲法制定議員同盟(民主・自民・公明など)の動き。4月28日に開いた大会で「この災害は一地方の問題ではなく、国家的災害である。この復興を新しい国づくりの第一歩と位置づける必要があり。新しい国づくりの理念は憲法に盛り込まれるべきものであり、新しい憲法の理念に基づいて、新しい国づくりが進められる必要がある」と決議しています。

 その後、参議院憲法審査会規定を強行し、衆参で、改憲議論を進める条件を作りました。さらに6月7日には、民主、自民両党などの有志議員は、憲政記念館で憲法改正の発議要件を衆参両院の各3分の2以上の賛成から両院の過半数に緩和することを目指す「憲法96条改正を目指す議員連盟」の設立総会を開きました。総会には、両党のほか、国民新党、公明党、みんなの党、たちあがれ日本、無所属の約100人が出席。顧問に森喜朗、麻生太郎、安倍晋三元首相が就任しました。改正案の提出には衆院で100人、参院で50人以上の賛同者が必要ですが、賛同者は200人を超えたといわれました。

●憲法九条は目の上のこぶか

 うごめきのもう一つの発想が、また、来年4月28日「サンフランシスコ講和条約締結60周年」を、改憲へのあらたな一歩としようとするものです。

 保利耕輔・自民党憲法改正推進本部長は「憲法九条がそのまま残っているというのは占領下の連合国側の考え方に基づく。真の独立国になったこの日(サ条約締結の日)を機会に憲法改正をしっかりやろうじゃないかという考え方が、わが党の考え方だ」とし、自民党国家戦略本部(本部長:谷垣総裁)は、改憲を中軸とした新綱領(201O年改定)に基づく中長期政策の方向性をとりまとめ、東日本大震災への対応を口実に、武力攻撃を含む緊急事態に対応可能な憲法を整備する(改憲)ことが必要と強調しています。

 震災・原発事故問題の陰にかくれて進められる大連合での改憲策動は、今自治体で進められようとしている自衛隊が出動して国民保護計画の名による市民を巻き込んでの大規模な訓練などの、憲法9条の形骸化と一体のものとして進められているものです。

 厳しい監視、9条の会運動の強化が求められています。
(編集長 鴨川孝司)




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「放射能線量計購入カンパ」に11万7605円

 「福島九条の会」からの要請に応えて取り組んだ「放射能探知機購入」カンパに、多くの方からご賛同をいただき、11万765円が寄せられました。ありがとうございました。ひきつづき福島九条の会とは情報交換をしていきたいと思います。
マスコミ・文化 九条の会 所沢




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BOOK REVIEW

人間と環境への低レベル放射能の脅威 福島原発放射能汚染を考えるために

ラルフ・グロイブ/アーネスト・スターングラス著
肥田舜太郎、竹野内真理 翻訳

 大量の放射能が放出される中、政府は「放射線量が低い」ことから、「直ちに健康に影響はない」と繰り返すが、これは、内部被曝することによって後々に影響が出てくる「晩発性」の影響を考慮していない発言だ。そして、低線量の放射能でも大きな影響があることを本書が指摘している。

 低線量放射能による生体レベル、細胞レベル、分子レベルでの影響のことをいう「ベトカウ効果」。これは20年前、カナダの原子力公社の研究所で医学・生物・物理学主任だった、アブラム・べトカウ博士が発見したもの。

 本書は、ノーベル賞に匹敵するといわれるその「べトカウ効果」を、ラルフ・グロイブとアーネスト・スターングラス両博士が原発・核実験の放射能汚染で徹底検証した世界的労作の初の邦訳刊行。

 訳者は長年被爆者の診療をしてきた肥田舜太郎医師(さいたま市在住)と、通翻訳者で脱原発国際署名の活動に従事する竹野内真理さん。

あけび書房 3800円+税




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短 信

◆「脱原発」でひらく新しい日本

日 時:12月3日(土)10:30〜16:30
場 所:東京・内幸町プレスセンターホール
主 催:12・3「『脱原発』でひらく新しい日本」実行委員会
第1部:「フクシマ」克服の道筋を問う(澤地久枝、金子勝)
第2部:脱原発と政治の役割・責任(川内博史、小池晃、福島瑞穂ほか)
第3部:メディアの責任とジャーナリズムの課題(桂敬一、鎌田慧、佐藤敦、松元剛、岡本厚)


◆lO.21国際反戦デー埼主県中央集会

 1966年のこの日、ベトナム反戦のためのストライキがおこなわれ、世界に行動を呼びかけた日でもあり、毎年、平和問題を考える集会が行われてきた。
 今年は、埼玉県平和委員会代表理事の平山武久氏を講師に招く。
日 時:10月21日(金)18時開場、18時30分〜
会 場:埼玉教育会館2階
講 演:「新防衛計画大綱、そして原発問題」
入場料:無料
主 催:10.21実行委員会
連絡先:埼玉県労働組合連合金 048−838−0771


◆革命歌・労働歌をうたう会

 誰でも参加できます。友人・知人を誘っておでかけください。
日 時:11月9日(水)14時から
会 場:、所沢地区労会館ホール(西新井交差点、ホンダプリモ裏)
主 催:新井幸子とその仲間達


◆所沢・うたごえ喫茶 LOVE&PEACE 11月例会

日 時:11月7日(月)午後2時から
会 場:所沢パークホテル TEL04−2925−5111
会 費:1500円 伴奏 アコーディオン 五味田洋清
             ギター     原島康義
連絡先:04−2993−6861 大関俊雄


◆映画人九条の会7周年記念 最新ドキュメンタリー映画「バベルの塔」上映と原発問題を考える集い

 あのチェルノブイリ事故から25年が経った今年、東日本大震災とともに放射能の災厄がまたも日本を襲いました。あたかも「バベルの塔」の伝説のように。
日 時:11月24日(木)18:45〜20:30
会 場:東京・文京シビックセンター5階・区民会議室AB
    地下鉄丸ノ内線・南北線「後楽園駅」徒歩1分
参加費:700円
コメンテーター 野村存生氏(原発問題住民運動全国連絡センター事務局次長)
主 催:映画人九条の会 TEL 03ー5689ー3970






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