機関紙68号 (2011年8月16発行)new!



もくじ

「原爆と原発、そしてメディアの責任」
  マスコミの懐柔に使われた巨額な宣伝費
沖縄の基地撤去は世界の平和に貢献する道
   伊波洋一前宜野湾市長が所沢で講演
    伊波さんの講演要旨
     戦後66年続く基地問題
     米軍には沖縄は天国
     基地を撤去し平和な沖縄を
伊波さん東奔西走
私達は孫たちに誇れるものを残せるだろうか
   岡部 昭(彫金家・山口在住)
2011所沢・平和のための戦争展
   1200名の参観者が平和を願う!
8月の文化としての「戦争体験を語る」
   鎌田富夫(向陽町在住)
鈴木彰の「夢を棄て彷徨うだけの延命路」
「九条を生かす」
   ●彷佛させる66年前の広島の惨状
   ●絶対に許せない武器輸出
    編集長 鴨川孝司
BOOK REVIW
  埼玉文芸風土記」が刊行
短 信
   ◆7・3国民平和大行進
   ◆青年劇場「普天間」が公演
   ◆松元ヒロ ソロライブ ひとり立ち
   ◆原水禁世界大会 報告と交流の夕ベ




「原爆と原発、そしてメディアの責任」

マスコミの懐柔に使われた巨額な宣伝費

 原爆の日、終戦記念日が巡ってきたが、今年は福島原発事故を抜きにして語れない。福島県には広島、長崎で被爆した人がひっそりと暮らし、家族にも被爆者と伝えてないという。その人たちの「二度目の被爆」の思いはいくばくか。いまだ、福島第一原発からは依然として放射能が漏れ続けている。

 1954年3月1日、焼津のマグロ漁船が、ビキニ環礁で米国の水爆実験に遭遇し死の灰を浴びる「第五福竜丸事件」が起きた。が、国会では、その3日後に原子炉導入費用を盛り込んだ予算案が衆院を通過した。皮肉にも悲劇の始まりだった。

 セシウム137で比べると、広島に落とされた原爆の130発以上が今回の事故で放出された。それは、原爆より使っている核燃料(ウラン235)の量が圧倒的に多いから放射性物質も多くなる。

 原爆は爆発で発生する熱線と爆風と超高線量の放射能で一瞬のうちに人間を殺傷する目的で造られた。原発も原爆もウラン235の核分裂を利用するものだが、原爆の方が核分裂のスピードが桁違いに早い。そのためウラン235を100%近く濃縮したものを使うが、原発は3〜5%を濃縮したものを使い、緩やかに核分裂を起こしてエネルギーを取り出す。原爆と原発は原理としては同じなのだ。

 広島と長崎、そして第五福竜丸の経験を経ても、平和利用という声は甘く国民に響き、反核運動も「安全神話」に深く切り込めなかった。その責任の大半はメディアにあったのではないのか。

 NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争に向かったのか」で、中国大陸の戦果を号外発行で競い、戦争を煽り、部数拡張に血眼になっていた新聞の恥部があからさまになった。そのさがは、大本営発表を鵜呑みにする愚行を敗戦まで続け、国土を廃墟に帰した。

 戦後になり、原子力の平和利用との美名のもとに、正力松太郎、中曽根康弘らが暗躍し米国と歩調を合わせ、国策としての原子力政策が強引に推し進められた。政・財・官・メディアは一体になり、「安全神話」を国民の深層部に埋め込むのに腐心してきた。なかでも片棒を担いだメディアの責任は軽くはない。

電力会社になぜ必要

 競争がない企業になぜ巨額の広告が必要なのかと、参院予算委員会で中西健治議員(みんなの党)は素朴な疑問を呈した。

 清水正孝社長はマスコミヘの広告・宣伝費は約90億円、交際費は約20億円である述べた。実は東電の広告費はこれだけではない。10年の有力企業の広告宣伝費を見ると243億円と記載されている。電力館の運営や各種イベント費を含まれるが、先の90億円もこの中に含まれると思われる。

 電力業界全体では競争もないのに、884億円を超す巨額な宣伝費こそ「安全神話」の推進役であった。巨額な宣伝費が放送・新聞各社の財務を潤し、記者を懐柔するのに接待や交際費に湯水のように使われたのだろう。東電や政府の発表を垂れ流すだけでは戦前と変わらない。

 放送・新聞各社は多額な広告費を受け取る一方で、原発の問題をどのように報じてきたのか報道姿勢が問われるのだ。3・11以降も20億円の宣伝費がマスコミに流れている。その多くは原発推進派の媒体が占めると言われる。

 朝日新聞と毎日新聞は脱原発に舵を切ったことを歓迎する。原発推進派の全国紙は読売、日経、産経の三紙だが、憲法改正を進めることでも一致している。

 長野県松本市の菅谷昭市長は、学校ごと集団移住を提唱したが、記事にしたのは東京新聞の特報面だけだった。東電・政府が出す情報が信頼性を失っている今こそ、良質のジャーナリズムの出番ではないのか。

 国民の命と安全より財界、米国の利益を代弁する巨大マスコミが存在する現実を憂思する。
(k)



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沖縄の基地撤去は世界の平和に貢献する道

伊波洋一前宜野湾市長が所沢で講演

 6月30日、沖縄で基地返還の先頭に立って闘っている伊波洋一さんを所沢に招き、実行委員会による「基地はいらない沖縄と連帯する集会 in 所沢」がミューズ小ホールで開催され、230人の聴衆が伊波洋一さんの講演に熱心に聴き入った。

 冒頭、浜林正夫実行委員長は「伊波さんの本を読んで、日本の国民とアメリカとの間の国民外交も非常に大事ではないかというふうに考えるようになった」と挨拶をした。

 伊波さんは、「沖縄米軍の実態は米国内では知られていない。米国政府や議員に要請行動を重ねて、米国の国内法では考えられない危険な状況に置かれていることが解ってきた。普天間基地は移設ではなく、基地そのものをなくす必要がある。それが、憲法九条のもとで世界の平和に貢献する道」と強調した。

 講演に先立ち、シューベルトまつださんの沖縄三線のパフォーマンス、植竹しげ子さんの舞踊「鳩間節」で集会に花を添えた。

伊波さんの講演要旨

 私は2003年から市長をしていた。その当時、普天間飛行場問題は、96年に返還と約束され、返還に合意して代わりの基地を作ると日米両政府で話し合われた。一つの基地をなくすのにまた新しい基地を作るのか。そのとき沖縄には36基地あり、それでも、さらに基地を作るということで、それではいつまでも基地はなくならないと反対が続いていた。

 普天間の地元の市長として、基地は沖縄に作るべきではないし、本土にも作るべきではないということで、国外に持っていきなさいということを強く主張しながら取りくんできた。

戦後66年続く基地問題

 その過程の中で、墜落事故も起きた。今日は、昼間の御案内で、狭山の入間基地で昭和53年に返還されるまでの当時の話を伺った。

 今は自衛隊になったので、夜8時までしか飛行機は飛ばないけれども、返還前は米軍のしたい放題の飛行をやっていたと語っていた。

 今の沖縄がそういう状況だ。普天間の事故の後も、年間2万回を超える飛行回数が続いている。さらにひどくなっているのは、事故が起こるまでは、夜の10時までしか飛ばなかった米軍ヘリが、今は12時まで飛んでいる。

 96年に普天間は危険だから全面返還を決めたにもかかわらず、その市内の大学に墜落事故を起こし、事故前までは夜10時という飛行制限があったにもかかわらず、再開してからは夜11時まで飛んでいる。

 米軍がやりたいような形で基地が保有される。これが戦後66年も続いているというのはとてもおかしなことだ。

 2003年に市長になって以来、公式に3度アメリカに行き、アメリカの基地の問題を調査しながら政府に対しても要請、そして連邦議会にも要請をしてきた。そこで分かったことは、アメリカには、こういう基地は存在していなことだ。

 2005年の訪米のとき、カリフォルニア州のサンディエゴの基地、ペンドルトン海兵隊の基地のすぐそばに接している市がある。その基地には8万人がおり、そこの市長さんにお会いして「基地はどのくらい市民に迷惑をかけていますか」と質問をしたら、この市長さんは「アメリカでは、市民に日常的に被害を与える基地は存在できません」と語った。日本ではどんなに迷惑を掛けても、例えば、宜野湾市や岩国、横田、嘉手納で迷惑を掛けても、誰も手だてを講じない。

沖縄に脅威与える安保

 だれが解決するのか。戦後66年、それを容認するのは日米安保のためだと言っているが、沖縄にとっては、日米安保というのは、沖縄に脅威を与えるものであって、決して沖縄県民を守っているとは思ってない。

 そもそも沖縄の基地は日米安保でできたわけではない。1952年の4月28日、日本は独立したけれども、その日を限りに沖縄は、米軍統治の継続ということになったのだ。

 そういう中で、沖縄は新たな土地の強制収容が行われ、朝鮮戦争の準備をした。それをそのまま1972年5月15日の返還後も沖縄の米軍基地に提供ということになった。当時、沖縄返還運動や復帰運動は、日本国憲法の基に帰れば本土並の基地になるだろうとの願いも見事に打ち砕かれてしまった。今の日本政府の対応では沖縄から基地がなくなるようなことは全く望めない、これが沖縄の人たちの思いだ。

 なぜ沖縄だけに基地が押し付けられるのか。私が「普天間の基地の県内移設は賛成できない」、という公約で知事選に出たが、当時の自民党沖縄県連も含めて、県内移設賛成では選挙は成り立たないということで、そういう公約を出して、県知事選挙を通して県政が変わったことは、沖縄にとっては良かったと思う。ということがおかしいのではないか。

米軍には沖縄は天国

 2003年、04年、05年とアメリカに行ってきましたけれども、アメリカの市長と話していると、「普天間の基地とか沖縄の基地を返してくれ」と言うのだ。冷戦が終わって、米国の中でも基地が減った。米国においては、基地は地域経済にとってはプラスの要因があるという。それが無くなっていくから、地域においてはヨーロッパから帰ってくる部隊や韓国から帰ってくる部隊を全部受け入れる。ところが、日本からは帰ってこない。どうしてか、日本の住宅予算措置これがあるからだ。年間6000億も出して誰も文句を言わない。要するに米軍が地域住民から文句を言われない。日本は、米軍にとっては天国みたいな地域になっている。それを変えていかなければいけない。

 先日も、米国連邦議会の上院の軍事委員会がこういう提起をしている。辺野古基地は作るなと、沖縄からグアムに家族も伴って行くのだが、その部隊も家族を合めてハワイに移しなさい。グアムにはローテーションで回しなさい。そういうふうに余計な負担がない形でやりなさいと決議している。

 私たちの政府は、そのことに関してほとんど鈍感だ。アメリカ政府のいう通りのことをやり、今度はオスプレイ配備。何も通告されていません。そんなことをずうっと言い続けてきたのに、突然アメリカがオスプレイ配備を言い始めて、何と言ったかというと、オスプレイは安全だと、目分たちで調べて安全だということをわざわざ仲井真知事に言いに来ている。知事はとんでもないと怒っている。

 これまで辺野古で何年も座り込みが続いている。この6月13日に宜野湾市では、オスプレイ配備反対の座り込みがあった。今回宜野湾で特徴的なのは、かつて県内設置を容認してきた自民党の市議会議員や公明党の市議会議員もこの中に入ったことだ。オスプレイは決して認められない。

 去年の4月25日の県民大会に、すべての市長町村長、9万人の県民が集まった。基地反対が沖縄では着実に芽生えている。特に、お伝えしたいのは、実は沖縄の基地問題というのは、沖縄基地だけの問題ではないということを知ってほしい。

 今年の5月4日に、朝日新聞が、ウィキリークスの米国の極秘公電を明らかにしました。大変驚いたのは、2009年9月16日に鳩山政権が発足した。そのときに鳩山政権は普天間基地の問題について、国外少なくとも県外という立場で政権が発足して、国民新党や社民党との連立政権に持ち込んだ。その後、10月13日に、キャンベル国務次官補を団長とする米国代表団が日本に来た。そして発足間際の鳩山政権の防衛政務次官と外務官僚との交渉に入った。そのときに、キャンベル国務次官補は、辺野古は、中国有事の基地なんだ、と言った。もっと驚くべきことには、これまでも自公政権に対してアメリカが今準備している戦争計画を説明してきた。アメリカが予測している事態というのは、これまで周辺有事ということで説明してきたけれども、日本そのものが攻撃されることを前提とするような、そういう有事なのだ。これは明らかに、北朝鮮の脅威ということでミサイル配備とか、もろもろの日本基地作りというのが、台湾有事等を合めた対中国に向けた基地作りであることを示している。

基地を撤去し平和な沖縄を

 沖縄にはいろいろな基地があります。嘉手納基地も普天間基地も辺野古も佐世保も岩国も中国を前提にしている。西日本の自衛隊も同じような射程ですから、当然攻撃される。そのときには、日本の戦闘機や米軍戦闘機を集めて、さらに米国から援軍を頼んで、そこから戦争を遂行。当たり前に語られている。

 今進められている米軍再編。今のままアメリカに引きずられ、日本がついていくと、アメリカの戦争に巻き込まれる。次は日本が有事の場所になるという戦争だ。

 福島原発が明らかにしたように、私たちは原爆を何千発も抱えている。そういったことを考えますと、やはり戦争というのは起こしてはいけない。

 アメリカというのは、10年から15年の間に1度戦争しなくちゃならない国なんですね。どうしてかというと莫大な軍事費をそこに投入しているんですね。その理由としては、戦争があることによってはじめてミサイルも作るし、米軍も維持できる、膨大な軍事費を米国民が税金から支出する理由が必要なのだ。ついていくのは大変怖い相手だなと思いますし、そのことが私たちの身の周りで進んでいる。

 私たち、日本の立場としては、中国とも仲良くしていく、アメリカ側に立って中国と戦争するシフトを作るのではなく、中国とも仲良くする方向性を展開することが必要である。

 67%の人たちが、今のようにアメリカに引きずられていくような、そういう日米関係に賛成ではない。

 福島原発が脱原発の動きを作り出しているように、要するに、戦争への準備という今の日米同盟の侵略戦争、その相手側は中国で、その戦場は日本である、こういうことが明らかになっている以上、ここから私たちは声を高く出していく必要があるし、今一度私たちの沖縄を戦場にしたくない、日本を戦場にしたくない、我々沖縄県民の願いである基地のない平和な沖縄を作るには、一つ一つの基地を撤去していくしかないと思って、今日はお話しさせて頂いた。

 多くの沖縄関係者もいる所沢でお話できたことをありがたく思い、基地を見ながら改めて、沖縄の基地問題というのは、本土も含めたみんなの問題であることを実感した。基地のない平和な沖縄のために頑張りたいと思っている。
(文責 鴨川孝司)



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伊波さん東奔西走

 6月30日、沖縄で基地返還の先頭に立って闘っている伊波洋一さんを所沢に迎えました。伊波さんは、講演に先立ち、当麻所沢市長へ表敬訪間。その後、実行委員会は、入間基地と横田基地を案内しました。

 入間基地では狭山平和委員会の会長の飯島邦夫さんから、入間基地での闘いの歴史と現状について話を、そして、横田基地では、東京平和委員会の高橋みち子さんの案内で、基地周辺を一周しながら、来年3月までに自衛隊の航空総隊司令部が、米軍との防空・ミサイル防衛の情報共有・連携強化を目的として米軍横田基地内に移設され、ますます危険な基地に変わることを聞きました。




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私達は孫たちに誇れるものを残せるだろうか

岡部 昭(彫金家・山口在住)

 私は彫金家として美術の道を60年近く歩いてきたが、そのもっと前は、国分寺の東京農工大と名称が変ったがそこの獣医科の学生として学んでいた時、ある実験のレポートを読み、印象深く今も忘れない。

 その中味は『シャーレというガラス容器の中に米を半分ほど満たし、中に穀象虫を一対人れると、初めは少しずつ殖え、やがて少しずつ多くなって桁違いの増殖を始め、虫で米が見えないほどに増え、虫の上を虫が歩き回り、排泄物も溢れ、ストレスも充満して虫の増加数はOとなり総て終焉を迎える。これをグラフで表すと、一定時間ごとに倍、倍と増え、やがて桁違いの増加となり、激増がやがて様々な制約を作り出し増数はOとなる。細菌も培養器の中で同じようなグラフを示し、野生動物も環境の制約が無くなると同じように激増して自滅する。

 生物の永遠の生存は地理的環境と他の様々な動植物との平衡した依存関係が作られているから可能なのだ。

 私達人間は何万年も続いた氷河期が終わると、同じような形で増加して、2年前で69億人に達してしまった。地球を、お米が溢れたシャーレに見立てれば人類の終焉は目の前に差し迫っているわけだ。

 私達人類の祖先たちは、大自然と向き合い多くの苦難に耐えてきたが、それを乗り越えられたのは他の動物には無い道具を作る手と脳という知恵があり、哲学や科学まで持つことができたからだ。これを基礎に産業革命以後の工業生産の発展は人々の物質的欲望を満たしてきたが、この為にこの150年間で、地球が1億年かけて貯めた石油資源を殆ど使い果たそうとしている。

 昨年アメリカのメキシコ湾で石油の大量汚染が起こり、石油掘削が数千mの深海に及んでいるのを知り、人間のあくなき欲望と知恵と勇気に仰天した。この知恵と勇気の矛先を変えないとやがて後悔のほぞを噛むのではないか。

 人口がほぼ極限にまで達した今、私達は隣人同士、地域間、国際間の相克、軋櫟、戦争の芽を丁寧に摘みながら知恵を絞り、民族間、国家間の軋礫をお互いの尊重と信頼だけを頼りに解決し、平和を守らねばならない。その心は日本での九条を守り拡げる心と共通していると思う。

 未だ世界の中で大きな流れにはなっていないが、経済の世界でも或る大会社が『エコ』について模索を始めたと言うニュースは心強い。

 まだ保たれているこの生態系を壊さないように、エネルギーは自然を利用し、資源は出来るだけリサイクルして廃棄物は出さないという身の回りからの知恵が出始めて、人類が全力を出してこれに向かってゆけば、何とか生き残れるかと思っていた矢先、巨大地震と恐ろしい大津波のあと、福島第一原発の大事故は、人間の知恵で制御出来るのだろうかと疑うほど深刻に推移している。

 ウランの核分裂で出来た様々な放射性物質の固まりである使用済み核燃料棒の中には、最も恐ろしいプルトニウム(2年間発電した後には)が百分の一も含まれているという。このプルトニウムは自然界には殆ど無く、人間である科学者が発見して造ってしまったものだ。これは強い放射能を出し続けるが、其の内の約半分を占める『pu239』はその強い放射能が半分に減るのに2万4千年も掛かるそうで、四分の一に減らそうとすれば、5万年も管理し続けねばならない。使用済み燃料棒の低放射能物質とプルトニウムやウランを分離する為に、青森県に2・2兆円かけて作った六ヶ所村の処理工事のプールには300Oトンの燃料棒が入る予定で、その中の『pu239』は約18トン、六ヶ所村の工場が失敗続きで在庫が処理できず、日本全国の原発には大量の使用済み燃料棒がそれぞれのプールで冷やされて待ち続けている。

 福島では放射性物質の固まりである燃料棒をそのままでは発熱溶融しチェルノブイリのようになるので、毎日水を500トンもかけ続けているが、その水の半分が燃料棒が出す熱で蒸発し放射性物質を撒き散らし、あと半分の水は高濃度放射能汚染水となる。

 何万年も昔、アフリカの三分の一を占めるサハラ砂漠は当時深い森に覆われ、綺麗な大河が流れ、多くの動物たちが生息し、その豊かさに支えられていた人達がそれを岩山の壁に線刻し、絵にかいた。それは今も砂漠のど真ん中に残されている。その何万年も昔を、そのまま将来へ何万年も、遠い将来まで『pu239』の難しい管理を子孫に残してまで、経済成長と現金預金残高の積み増しが現在の人類の最高の真理とするなら、穀象虫と同じ運命が私達を待っているのではないか。




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2011所沢・平和のための戦争展

1200名の参観者が平和を願う!

 今年で24回目を迎えた「2011所沢・平和のための戦争展」は、「核も戦争もない世界」をメインテーマに、8月7日(日)〜9日(火)の3日間、所沢市役所・市民ギャラリーで開催されました。

 延べ1200名もの市民や小・中高生等が参観に訪れ、平和について考え、平和の大切さをあらためて学ぶ場となりました。  初日のオープニング・イベントでは、「すいとんの試食会」「平和のうたごえ」「所沢の空襲のお話し」「原子力・原発の話し」等が行われました。

 また、展示コーナーでは、「広河隆一フォトギャラリー〜チェルノブイリから〜」「原発事故のコーナー」「所沢の空襲」「沖縄の基地」「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」「基地全面返還は市民の願い」「市民のくらし」「青年のコーナー」など。それぞれ参加団体の工夫された展示に熱心にメモをとる姿が見られました。

 今年は特に福島原発事故後の放射能汚染に対する関心も相まって「原子力もまた核」という角度から、広い意味で内容の濃い戦争展になったと思います。

 なお、この戦争展には多くの個人、団体からの賛同募金をいただき、心より感謝申し上げます。
(事務局 金井眞)




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8月の文化としての「戦争体験を語る」

鎌田富夫(向陽町在住)

 例年、8月15日を中心に、戦争に関する様々なイベントが行われる。私の周辺では、今年は特に賑やかなように思われます。

 最近地域の隣人から、聖路加病院の名誉院長、日野原重明さんの、新老人の会編「歌われたのは軍歌でなく心の歌」サブタイトルは、「語り残す戦争体験」という本を貸して頂いて読んでいます。

 「新老人会」は75歳以上を正会員として、現在、1万人を超えているらしい。そのユニークさにも興味を引かれますが、日野原先生は、その序文で「戦争の悲劇を二度と繰返さないためには、新老人の一人一人が、ご自分の肉声によって第三世代の子ども達に語り伝えていかなくてはなりません。これこそ先に死に行くものとして老人の大切な役割であり、このような事が、本当の文化の継承だと信じます」と云われています。

 私の関係している「所沢雑学大学」では、8月を「戦争体験を語り継ぐ月間として、毎週日曜日に戦争体験だけを取り上げています。それぞれの体験は、個人として異常なものですが、何回も聞いていると、マンネリ化して聞き「またそうなのか」とその体験を深く理解出来ないで過ごしてしまいそうですが、そうであってはならないと思わされました。

 最近、ショックを受けたのは「箒木逢生」の書いた『三度の海峡』を読み、これこそ15年戦争なのだと云う強烈な印象を持ちました。戦争の傷あとは、想像も出来ない無残な時代背景、時の権力者、軍人や政治家によって作り出されています。戦争体験を語る人の、全人生とその時代背景を広く読み取ることによつてその体験を共有できるのを痛感します。まさにその事が、老人の文化と日野原先生が語った意味ではないかと思います。

 日本にとって憲法九条は、まさにこの戦争が産み落としたものだと思います。8月に行われる「平和展」や「戦争展」は、8月の文化展とも言えそうです。




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鈴木彰の「夢を棄て彷徨うだけの延命路」




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「九条を生かす」

●彷佛させる66年前の広島の惨状

 8月6日行われた広島の平和式典で、児童代表が「戦争は人間の力で終わらせることができる」「分かち合う心こそ世界を救う光」と訴えました。大勢の児童たちが集まって、討議して決めた内容とのことです。

 広島市長は被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいとして、世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げる。東日本大震災の惨状は、66年前の広島の姿を彷佛させるものであり、日本政府に対し、「放射線の脅威をなくし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすこと」を強く求めました。

 菅首相は「究極的な核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、憲法を順守し、非核三原則堅持を誓う。わが国は『核兵器のない世界』実現に向け、国際社会の先頭に立って取り組むと決意し、実践してきた」と、17年連続して国連に「核廃絶の決議」を提起していることなど自賛しました。

 菅首相が言う「究極的な核廃絶」とは、広島市長が2020年までの核廃絶を目指すというその後での発言ですから、「先送りし取り組まない」ということです。

 その菅内閣は一方で核廃絶や恒久平和・憲法遵守に全力を尽くすと言いながら、その裏で、臨界前核実験などを繰り返して、力による主導権の確保をはかる米国の言いなりになって、アメリカの戦争政策に荷担し、武器輸出を始め、憲法の実質的な改悪をすすめているのです。

 その一つに、外務、防衛両省など主要省庁の局長クラスが参加する政府の「PK0の在り方に関する懇談会」(座長・東祥三内閣府副大臣)が先ごろ発表した国連平和維持軍(PKF)への参加や武器使用権限の拡大などの検討が「必要」だとする「中間報告」の公表があります。これは、海外派兵の強化につながるものです。

●絶対に許せない武器輸出

 また、防衛省の「防衛生産・技術基盤研究会」(座長=白石隆・政策研究大学院大学学長)が7月6日公表した「中間報告」は、「武器輸出三原則」を突き崩し、武器輸出の自由化に道を開く危険な提言そのものです。

 菅政権は6月の日米安全保障協議委員会(2プラス2=外交軍事担当閣僚協議)で、日米が共同開発している弾道弾迎撃用ミサイル「SM3ブロック2A」を米国経由で米国が認める第三国に移転することに合意しました。米国向けから米国経由の第三国向けにまで拡大したこと自体、武器輸出を禁じた「武器輸出三原則」に大穴をあける暴挙です。過去の侵略戦争の反省の上にたち、日本の武器で他国民の命を奪わないという国民の願いを踏みにじるものです。

 安保改訂時には、核持ち込みを認める「密約」を使い、原発導入での神話作りや「やらせ」が問題になりました。今回の平和式典では「2枚舌」です。国民を欺くために時の政権が使う、こうしただましの「テクニック」を許さないために、時をおかない反撃を強める必要があります。66回目の敗戦記念日を迎えるとき、平和憲法の大事さを大きく広げるときです。
(編集長 鴨川孝司)




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BOOK REVIW

「埼玉文芸風土記」が刊行

 会員の高橋玄洋さんが顧問を務め中原道夫さん(会員・詩人)が参加する埼玉文芸家集団が、埼玉ゆかりの文人約300人の足跡や失われた地名の経緯・移りゆく風土の姿を文芸家の視点でつづった「埼玉文芸風土記」が上梓された。

 埼玉文芸家集団は埼玉県の文芸復興やゆかりの文芸家を掘り起こすのも目的で、かつて埼玉県で活躍した文人を紹介した「荒川流域の文学」を06年に刊行。「埼玉文芸風土記」はそれに続く第二弾。埼玉県で活躍した文人たちの生き様を42人の執筆陣が愛をこめて描き、中原道夫さんは「飛行場のあった街」と題して、歌人田井安曇や詩人茨木のり子の活躍を紹介し、若山牧水には所沢の血が流れているという。高橋玄洋さんの長編小説「人工樹林」、山畑武雄さんの歌碑についても記述がある。

 税込み2310円。市内の主な書店で販売。問い合わせはさきたま出版会(048−822−1223)へ。




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短 信

◆7・3国民平和大行進

 7月3日、西日が厳しい午後4時半に航空公園駅前に集合した約120名が「国民平和大行進」の横断幕を先頭に新所沢駅まで、「原発撤退」、「所沢米軍基地全面返還」、「核兵器をなくせ」とシュプレヒコールを街中に響かせた。

 集会は当麻市長のメッセージの代読から始まり、土建組合、航空管制労組、年金者組合、新婦人、マスコミ・文化九条の会所沢などが連帯の挨拶をした。




◆青年劇場「普天間」が公演

 戦後の沖縄を描いた沖縄三部作で知られる劇作家・坂手洋二が書き下ろし、演じるのは沖縄をテーマに取り上げてきた青年劇場が埼玉で公演する。
日 時:9月27日(火)18:30分開演
会 場:埼玉会館大ホール(JR浦和駅西口徒歩6分)
入場料:一般4500円、30歳以下3000円
主 催:埼玉で「普天間」を観る会 電話080-2180−362

◆松元ヒロ ソロライブ ひとり立ち

 笑いとともに政治を痛烈に批判する。コメディアン・松元ヒロさん。毎年恒例のソロライブ「ひとり立ち」。パントマイムとトークで、客席は爆笑の渦に!
日 時:9月9日(金)19時、10日(土)15時、11日(日)15時
会 場:新宿明治安田生命ホール(新宿駅西口前)

◆原水禁世界大会 報告と交流の夕ベ

8月20日(土)午後4時から
所沢地区労会館、参加費300円




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