機関紙51-1号 (2010年1月14日発行)




もくじ
平和な世界を願う
新しい時代のなかで憲法九条を輝かせよう
 2010年1月9日 マスコミ・文化 九条の会 所沢
辺野古に基地をつくらせない
 名護市長選の支援を訴えます
国家に生存を脅かされる時代にどう対峙するか
 大久保賢一弁護士が情勢を縦横に語る
鈴木彰の「聖域に切り込まないとナメられる」
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を批判する
 「暗い事実」無視、「明るい明治」を演出



平和な世界を願う

岡部和子

東京都出身 武蔵野美術短大グラフィック専攻科卒
 現在、洋画を勉強中 並木在住 当会会員     



 

新しい時代のなかで憲法九条を輝かせよう

2010年1月9日 マスコミ・文化 九条の会 所沢

 2010年、今年は世界の人々の念願であった「核のない世界」への前進が期待される年です。5月には、ニューヨークで核不拡散条約再検討会議が開かれ、世界から集まる100万の人々による大デモンストレーションが取り組まれます。核兵器のない世界を望みながら、武器を持ち戦争をする愚かさを多くの人たちが実感し、世界中で行動が始まっています。先の総選挙で日本国民は政権交代を求めました。高齢者切り捨ての医療介護制度や、派遣切り・ワーキングプアにみられる働くルールの破壊、大企業の論理が優先する、ゆがんだ政治へのNOの意思表示です。

 このような国民生活の危機に瀕しながらも、日米安保条約のもとで、自衛隊が世界有数の戦力を持つことや米軍への思いやり予算を許し、憲法の想定しない自衛隊の海外派兵を巨額の費用をかけて続けてきたことに対しても、国民はその転換を求めています。私たちの住む所沢でも基地の全面返還は市民の強い要求です。

 しかし、長く続いた悪政の転換は容易なことでないかもしれません。今年は日米安保50年、日韓併合100年の節目の年でもあります。このとき改憲の動きが密かにうごめいていることも見落とせない問題です。だからこそ、国民が声を上げ、それによって政治が動くそんな時代への確かな歩みを始めたい。九条をはじめ、憲法を生かす活動こそキーポイントになる、そう確信します。長い歴史の教訓を生かし21世紀を生きる確かな道、武器を持たない戦争のない世界を願った憲法九条を光り輝かせる年としましょう。

 私たちの会「マスコミ・文化九条の会所沢」は亡くなった小田実さんや加藤周一さんをはじめ9氏の「九条を光り輝かせよう」という呼びかけに応えて結成し、今年5周年を迎えます。4年の活動の中で、九条を守ることと生活を守ることは切り離しがたく結びついていること、言論の自由を守り発展させ、さらに文化を身近なものとして親しんでいく運動の大切さを実感しています。いまこそ、多くの人々と共に、この取り組みを広げ、進めようと呼びかけます。



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辺野古に基地をつくらせない

名護市長選の支援を訴えます

 沖縄の普天間基地の移転先をめぐって鳩山政権は迷走し、どう解決するか、国民はかたずをのんで注目しています。

 そのさなか、1月24日に行われる名護市長選で「反対」を明確にする候補が勝利すれば、ごり押しは止まります。

 世話人会では、憲法を生かす活動を進める端緒として、基地建設反対の統一候補・稲嶺進さん勝利のために「寄せ書き」とカンパに取り組むことを決めました。所沢の米軍基地撤去実現のためにも連帯が求められます。



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国家に生存を脅かされる時代にどう対峙するか

大久保賢一弁護士が情勢を縦横に語る

 所沢で事務所を開き、30年。かつて市長選にも立候補し、市民の暮らし、働く者の権利を守る先頭に立ち奮闘する、大久保弁護士に展望を聞いた。
(聞き手 葛西建治)

---九条への思いは

大久保
 この事務所の壁に「暮らしに憲法を生かそう」の看板がありますが、「憲法を暮らしに生かそう」は、蜷川府政や畑県政当時、庁舎に垂れ幕がありました。それは大事なことで、一人の弁護士として、生かしたいと思っていました。憲法と言う言葉が先にでると、とっつきにくいと、事務所の内装をやってもらっていた大工さんが言うもので、「憲法を暮らし」ではなく、「くらしに憲法を生かそう」としたのです。憲法が掲げている平和主義とか人権の尊重。それらを私の仕事を通して実現したいと思って、そんな看板を出しました。

 私は、弁護士の仕事は貧乏と戦争を無くすことだよと後輩にも言っています。「基本的人権の擁護」もという話になると、どうしても「自由権」、だから、国家に抵抗する、あるいは「個人の生活を実現していく」そういうのだとすると「国家からの自由」と言われることが多いのですが、今、世の中を見ると、そうではなくて生活そのものが根本的に脅かされてきている現実があります。30年前から、弁護士をしていますが、ここまで貧困問題が深刻な形で私たちの周りに現れるということは驚きです。30年前はもっと良くなる(社会が)と思っていましたから、残念との思いと、貧乏をなくしたいということが重なります。

 戦争もそうです。ベトナム戦争に反対してきましたが、その後の湾岸、イラク、アフガンと戦争もなくなっていません。どちらも自衛隊が海外派兵され、イラク派遣では憲法九条に違反するとの判決も出されています。憲法の中にある「戦争を無くすこと」「人権を擁護する」ということが、いっそう厳しくなっているとの思いが強いです。違う言葉で言えば、人生、生活は食べることを求める、自由に生きたい、平和に生きたい。その象徴が九条だと思います。日本が海外で武力の行使ができるという方向には強い危惧を持っています。

 自公政権が崩壊したことは、プラスの方向で良いことだと思っています。国民の意志で政権が交代するということは今までなかったことで、これは新しい変化です。

 民主党がいい政策に進んでいるのかといえば、財界との関連でも引いた姿勢が見て取れるし、日米同盟を機軸にする、つまりは武力でものごとを解決することでは、基本的に変更はないと思っています。

 民主党が狙ったのは、構造改革路線で苦しめられてきた人たちの声を吸収するということで、そこのところは成功したが、政策では不徹底です。

 日米同盟の機軸についても、海外の自衛隊の派遣を容認していくことも変わりはありません。大きな変化として認めるが、私が考えている、憲法をもっともっと暮らしに生かしていくことには距離があります。

貧乏人どうしの税のやりとりでは豊かにならない

---増税も出てきていますが

大久保
 子ども手当の支給と抱き合わせで、扶養控除をなくしたことなどで増税の世帯が出てきます。子ども手当が所得制限がないまま行われ、なんのための子ども手当なのかという理念に欠けているのです。

 税制のことでいうと、一番考えなくてはならないことは、貧富の差を国家、あるいは社会として、どのように最低限度の生活を保障していくかです。所得の再配分が求められるのです。有る人から持ってきて、無い人に分配することが必要になります。所得の再分配機能、累進課税といわれるものですが、それを推進していく姿勢は見られません。貧乏人と貧乏人の間で税金のやりとりをさせる側面が強く、だから、庶民増税になるのです。政治とは誰から税金を取ってきて、何に使うかということです。高額所得者、大資産家から取る姿勢が弱く、高校の授業料無料化など方向が見えるものがありますが、どこに使うかになると、軍事費、米軍思いやり予算と不徹底が極まります。

 再分配に手をつけないから、早晩、財政に行き詰まり結局は消費税引き上げに結びついてしまうことになります。

 民主党の根本にあるのは、とにかく政権交代だとのスローガンです。民主主義の充実の側面からは、政権交代は意義があるのですが、民主党が不十分なら、また選挙で変えればよいことを国民は学びました。民主党のスタンスは自民党と変わらず、武力でものごとを解決することと、貧富の容認の二つが自民党と同じなのです。渡辺治さんも著書のなかで、保守の票が大量に民主に流れ政権交代になったと、書いています。革新の票には変化がなかったのです。民主に失望すれば自民に戻ることもあります。基本スタンスが変わらない二つの政党が政権をやりとりし、国民の不満を解消する手法はあり得ます。民主党への不満がどういう層から、どういう角度で出てくることで、ドラスティック(思い切った)な変革が起きる可能性があるのです。

---革新の出番はあるのですか

大久保
 社民党は私の考えとは違う方向にあります。共産党が発達した資本主義国で一定の影響力を保持していることは、意義があることで、共産党に対する各界の認識も、「共産党だからダメ」から、自民党の集票マシーンが崩壊して、医師会、農協など全方位外交に転じ、共産党にも眼を向け始めました。

 それと、本当につらい目にあわされている未組織の労働者、高齢者の人たちが政治に目覚めて、どういう投票行動をとるかで、変革の可能性は十分にあります。

 夏の参議院選で民主党が単独過半数を取ることになれば、消費税引き上げや比例代表の削減が一気に出されるので、大事な選挙になります。

---世界をどう見ますか

大久保
 核兵器のない世界を目指すとオバマ大統領の発言は画期的で評価したいのです。核の先制使用を国家戦略にしてきた米国が、それをやめると宣言したことは歴史的な出来事です。

 オスロの受賞式の演説では、許される戦争があるのだと述べたあとに核兵器の廃絶は実行しなくてはならないと語っています。戦争の有効性は認めるが、核兵器は使ってはならないと語っています。オバマ大統領の戦争感を肯定するわけではありませんが、核兵器の廃絶を米大統領が言ったことは評価します。

 もう一つは貧困と格差の問題です。人々に必要な生活物資を提供していくという経済システムでなければいけないのに、マネーゲームに走った人々が世界の富を独り占めし、それが許されることだとするプロパゲーション(宣伝)の流れに対して、それは違うとする中南米を中心とする大きな変化が起きています。戦争ではものごとが解決しないという潮流と戦争と貧乏を容認する二つの潮流がせめぎあっています。それが世界の流れですが、それまで地球が保つのでしょうか。温暖化対策も不十分な結果になり、金儲けのためなら、戦争も貧乏も地球環境もなにをしてもいいのだとする発想を持つ人がまだまだ力を持っているのだが、しかし変化は確実に起きています。

 オバマ演説で核兵器をなくしていく方向に弾みがつきましたが、オバマ発言は広島、長崎への贖罪ではく、自分たちがコントロールできない国に対して、自国に対する核攻撃を止めるために、他国に核を持たせないだけでは不十分だとするドラマチックな発想です。まだ核兵器の有効性を認めている議論なのです。核拡散を防ぐために自分たちの道義的な優位を確立しなければいけないとする発想に立つ発言です。

---所沢、変わりますか

大久保
 所沢にきて30年。前のことはわかりませんが、ほこり沢といわれるほど、畑の多いところでした。所沢都民が激増したのは最近です。長く黒字の自治体で地方交付金を受けとらなくてもいい市でした。産業はありませんが、都内で働く人がたくさん住むベッドタウンです。市長選に出たときも、狭山ヶ丘駅のホームに満杯の東京へ働きにいく人をみたときに、この人たちに、いったい何を呼びかければいいのか、戸惑ったこともありました。

 歴史的にみても革新の土壌が強い土地柄です。米軍基地が居座り続け、基地の返還運動の伝統。市長も含めて原水禁大会に参加するなど、平和・基地の問題で伝統的な取り組みをしてきた土地です。米軍基地も使っていないなら、即刻全面返還してもらい、セントラルパークにしたいものです。そうなるよう頑張りましょう。



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鈴木彰の「聖域に切り込まないとナメられる」



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NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を批判する

「暗い事実」無視、「明るい明治」を演出

梅田正巳(書籍編集者)

 司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が始まっている。3人の若い知的エリート(うち2人は陸・海軍の軍人)が青春を謳歌しつつ成長してゆく姿を、ひたすら富国強兵の道を突き進んでいった明治期日本に重ね合わせて描いてゆくドラマだ。昨年、今年、来年と3年がかりで放送され、最後は日露戦争の勝利で終わる。

「少年の国」の虚構

 第1回のタイトルは「少年の国」、第2回は「青雲」であった。

 このタイトルからも製作者の意図が読める。黒船の圧力のもと誕生した明治国家は、いわば「少年の国」であり、力量も経験もなく、ただ可能性だけがあったというのだ。

 次のように語り出される。《まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。小さな、といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。(中略)明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。だれもが、「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。》

 いかにも司馬遼太郎らしい言い方であるが、実際の明治初期の日本は本当に「少年の国」だったのだろうか。

 近代日本最初の武力行使である台湾出兵と、それに並行してすすめられた琉球処分を見てみよう。

 明治4年(1871年)11月、沖縄の宮古島から首里へ年貢を運んでいった船が、帰途に遭難、台湾の南端・恒春半島に漂着する。66人中54人が原住民に殺害されたが12人は救助され、福州の琉球館をへて翌年6月に那覇に戻った。

 こうした遭難事件は前例も多く、その処理の仕方も清国と琉球の間で決められていたという(赤嶺守「王国の消滅と沖縄の近代」、『琉球・沖縄史の世界』吉川弘文館、所収)。ところが翌年4月、このことを知った明治政府はその「事件化」に取りかかる。

 まず米国公使から、原住民しか住んでいないところは、当時の国際法では「無主の地」とされることを聞き出す。しかし当時の台湾は、行政上は福建省の管轄下にある。そこで清国政府に対し、どう責任を取ってくれるのか、と談判する。

 それに対し清国の役人が、事件を起こした原住民は、王化・教化に服さない「化外の民」だから責任はもてない、と突っばねる。

 こうして明治政府は、「無主の地」、「化外の民」というキーワードを手に入れた。「無主の地」の「化外の民」による事件であるなら、我が方で処断しても構わない、という理屈になる。

 一方、明治5年9月、政府は琉球王国を廃して「琉球藩」とする。前年の「廃藩置県」に逆行して「藩」としたのは、直接「県」としたのでは、これまで清国と「進貢一冊封」の宗属関係にあったのをいきなり一方的に断つことになり、問題になると考えたからだ。「藩」はいわば、王国と県との中間的な位置づけである。

 これだけの手を打った上で、明治7年2月、政府は「台湾蛮地処分」の方針を決定する。

 その中に「我藩属たる琉球人民の殺害せられしを報復すべきは日本帝国政府の義務にして」という文言があった。我が(日本の)琉球藩に属する人民が殺害されたのに対し、報復するのは「日本帝国政府の義務」だというのだ。

 こうして同年5月、3千6百人の兵力を台湾に出兵、その後の交渉で、日本の一部である琉球藩の人民=日本人民の仇を討ったという既成事実にもとづき、琉球の日本帰属を清国に認めさせた。

 台湾出兵の目的の一つは、琉球を日本の版図に組み込むことだったのである。5年後の明治12年、「琉球藩」は「沖縄県」とされ、「琉球処分」は完了した。

 以上が、台湾出兵一琉球処分のあらましである。遭難事件から台湾出兵まで2年半かかっている。これが、ナイーブな「少年」のやることだろうか。

 「はじめて近代的な『国家』というものを持ち」「いたいたしいばかりの昂揚」を感じていた「少年の国」がやったことだろうか。

 とんでもない。駆け引きに長けた、老獪・狡猾な「おとな」のやり口だったのではないか。

 明治初年の日本が「少年の国」だったというのは、少なくとも対外政策に関してみれば、まっ赤なウソである。こうしたウソが、「坂の上の雲」全体を通して埋め込まれている。

 以下、明治日本がおこなった戦争について、ざっと見てみよう。

「明治」は戦争と植民地獲得の時代だった

 台湾出兵の翌年(明治8年)、日本の軍艦が江華島事件を引き起こす。砲撃して上陸、5百人の朝鮮守備兵を駆逐して城砦を焼き払い、戦利品を分捕った事件である。

 そして翌年、再び6隻の軍艦を連ねて江華島に行き、武力を背景に不平等条約(日朝修好条規)を結ばせる。これも「少年」のやることとは思われない。

 この後、明治27〜28年、ついに清国との戦争に突入する。

 発端は、朝鮮農民が決行した地方役人の悪政と腐敗に対する蜂起である。日本の農民一揆のスケールをはるかに超えた農民の「反乱」が朝鮮半島南部一帯を制圧する。

 手に余った朝鮮政府は、歴史的に宗属関係にあった清国に対して、援軍の出兵を依頼する。

 それを知った日本政府も、ただちに出兵する。あわよくば、この混乱に乗じて清国に戦争を仕掛け、清国を破って清国と朝鮮との宗属関係を断ち切り、清国を駆逐して、朝鮮に対する支配権を確保するためである。

 ところが、清国軍につづき日本軍の出兵を知った農民軍(東学農民軍)は、ただちに政府と協定をむすび、軍を引いて平静に戻る。清国との開戦の機会を失った日本は、朝鮮王宮に攻め込んで国王をとりこにし、日本軍に対して清国軍駆逐の依頼を出させる。

 こうして日清戦争は始まり、その結果、日本は勝利して、下関条約で莫大な賠償金と共に朝鮮の支配権を確保し、あわせて台湾をもぎとるのである。

 日清戦争における日本軍の最初の武力行使である「朝鮮王宮占領」については、司馬が小説「坂の上の雲」を書いた当時は知られていなかった。しかし1997年、日清戦争の研究者、中塚明・奈良女子大名誉教授の新史料発掘にもとづく『歴史の偽造をただす』(高文研)によって、広く知られるようになった。

 今回のドラマでは、明治期は「少年の国」につづく「日本の青春時代」として、「明る<」「ハツラツと」描かれる。しかし現実の明治日本は、日清開戦の大義名分を手に入れるために、綿密な作戦計画のもとに、未明、朝鮮王宮を襲撃し、国王を捕虜にするという強盗行為をやっていたのだ。それも、外務大臣(陸奥宗光)と参謀本部の指示のもとに。

 また下関条約から半年後(明治28年10月)、京城(ソウル)守備隊の一部と民間の壮士の一団が、参謀本部の指示のもとに、日本公使が指揮をとって王宮に乱入、日本に抵抗していた王妃を惨殺、遺体を焼いて埋めるという蛮行をおこなっている。

 明治政府の対外政策には、こういう暗黒の事実がいくつも含まれている。

 しかしドラマ「坂の上の雲」は、そういう「暗い事実」を無視、黙殺して、ひたすら「明るい明治」を描き出す。歴史の偽造である。

 そして10年後の37〜38年の日露戦争。司馬にならってNHKドラマも、これを「祖国防衛戦争」として描く。

 当時の日本国民の多くにとっては、たしかにこの戦争はそう受け取られていただろう。しかし後年一一この場合は100年以上もたって一一その歴史事実をドラマに描く場合、当時の「主観的認識」をそのまま「客観的認識」として描くことはできまい。  日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)の第二条には、ロシアは今後、朝鮮における日本の「政治・軍事・経済上の卓絶なる利益」と、「指導・保護・監督・管理」権を認める、と明記されている。つまり、日露戦争での日本の第一目的は、清国につづきロシアをも駆逐して、朝鮮の独占的支配を打ち固めることだったのだ。

 この条約ではあわせて、日本はサハリン(樺太)南半部と南満州でのロシアの権益を獲得する。

 そして5年後の明治43年(1910年)、「韓国併合」により、念願の朝鮮の完全所有=植民地化を果たしたのである。

時代に逆行するドラマ

 こうして見ると、明治の45年間は出兵・戦争が相次いだ時代であり、領土を拡大した時代だった。日本の三大植民地一一朝鮮・台湾・南サハリンを獲得したのもこの明治時代である。

 帝国主義とは、武力により領土や権益を獲得することをいう。帝国主義の立場に立てば、明治は確かに「すばらしい時代」「栄光の時代」だった。しかしこれを、国を奪われた側から見れば、どう見えるか?

 今年2010年は「韓国併合から100年」となる。その年をはさんで、3年がかりで「帝国主義の時代」を賛美、たたえるドラマを、「プロジェクト・ジャパン」のメイン企画として放送する。

 鳩山首相がくり返し「東アジア共同体」の形成を訴えるいま、この国の最大のメディアであるNHKが、日本国民の歴史認識を「帝国主義史観」で染めあげ、新たなナショナリズムの昂揚をはかるのである。
 思想上の大事件ではないか?

(マスコミ九条の会HPから転載)



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