機関紙137号 (2017年11月3日発行)



もくじ

安倍9条改憲反対の声は議席に反映したか
 「会報」編集委員会
  小泉元首相「必要のない解散」
  9条改憲をはじめて公約
  国民の意思と議席の乖離
  安倍改憲反対が反映した選挙区
  安倍9条改憲の欺瞞性

2017年ふくしまの今
 真木實彦(福島県九条の会代表)
  生業、地域を返せ!
  【国の法的責任と東京電力の過失】
  【被害救済の範囲と水準・原状回復請求について】

鈴木 彰の「争ってみせているがみな仲間」

【連載・沖縄通信】辺野古で闘おう!
 原田みき子(沖縄県本部町在住)

映画誕生122年 時代を語る映画(2)
 桂 壮三郎(日本映画復興会議代表)
  ソビエトの影響

「会」が公開質問状を外務大臣に提出
  「核兵器禁止条約」の邦訳に関する公開質問状

太郎の部屋のほっとたいむ 58
 鈴木 太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)
  好調・名取事務所の新作

コ一ヒーブレイク
 原 緑
  《写真教室》

「いまこそ対話を」暉峻淑子さん講演要旨(最終回)

事務局から
  ▼選挙公示前日「9の日」行動
  ▼総選挙で自公が3分の2、改憲勢力が8割を占める
  ▼11月3日、国会包囲大行動
  ▼映画「スノーデン」




安倍9条改憲反対の声は議席に反映したか

小泉元首相「必要のない解散」

 9月28日、安倍首相は臨時国会の冒頭で衆議院を解散した。自公で3分の2を超える議席を有し、自民単独で絶対安定多数を占め、任期はまだ1年以上もある。何が悲しくて解散する必要があったのか。解散理由が消費税と北朝鮮といわれても、小泉元首相ですら「なんでか分からん」といい「必要のない解散だ」と講演している。

 しかし強大な勢力をチャラにしても解散しなければならない本当の理由が、仲のいい安倍夫妻≠ノはあったと賢明な人びとは見抜いていた。

 大義なき解散は「もり・かけ・日報」疑惑隠しに役立ったかもしれないが、政治不信と政治の劣化をも加速させた。世界から数十年遅れて18歳選挙権が実施された2度目の国政選挙の投票率が、戦後2番目の低さということにそれが現れている。

9条改憲をはじめて公約

 自民党は、「自衛隊の明記」という安倍9条改憲案を総選挙の公約に掲げた。結党以来はじめて「憲法9条改憲」を国政選挙で打ち出したことになる。

 総選挙の結果、メディアは「与党大勝」と報じたが、自民は3人を追加公認して解散時と同じ284議席で、公明は解散時より5議席減の29議席だった。定数減とはいえ議席を減らした与党を「大勝」と持ち上げるのはどうかと思うが、安倍自公政権は巨大な勢力であることに変わりはない。だが総選挙の結果を、安倍9条改憲「容認」と「反対」のたたかいという目でみると、この政権が「虚構の多数」であることがみえてくる。

国民の意思と議席の乖離

 安倍9条改憲「容認」は、議席を有した政党では自民、公明、希望、維新の合計374議席で全議席の80%を占める。「反対」は立民、共産、社民の合計69議席で全議席の15%である。国民の意思が議席に反映しているとすれば、安倍9条改憲を80%の国民が「容認」し、「反対」する国民は15%ということになる。

 朝日新聞が総選挙直後の23、24日に実施した世論調査では、安倍9条改憲に「賛成」が36%、「反対」が45%である。一票の格差が繰り返され、国民の意思と議席が乖離するこのような選挙制度をいつまでも続けていていいのだろうか。

安倍改憲反対が反映した選挙区

 メディアは「3極構造の選挙戦」と報じたが、全289選挙区のなかで安倍9条改憲「容認」と「反対」の一騎打ち型の選挙区が47あった(別表)。昨年の参院選で野党共闘が実現した32の1人区と同じような選挙区である。参院選では11勝で勝率は34%だったが、今回は15勝で勝率は32%だった。

 タラレバだが、全選挙区で同様の一騎打ち型の構造が実現していれば、勝率32%として約90選挙区で勝利していた可能性があったことになる。因みに埼玉8区の得票数をみても、もし「反対」野党が一本化していれば、9条改憲論者の首相補佐官に勝って所沢は一躍全国で話題になった、かもしれない。

安倍9条改憲の欺瞞性

 「1項2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という安倍9条改憲は、そもそも国民発の議論ではない。いってみれば憲法尊重擁護義務を無視した国務大臣が、自民党内の議論をも無視して突如発した国民不在の改憲案である。

 安倍首相は「自衛隊を違憲とする無責任な議論をなくしたい」というのだが、仮に3項を設けて自衛隊を書き込んでみても、2項を根拠に「自衛隊は違憲!」と主張する人々が必ずいる。するとヒトラーの例え話しが大好きな副総裁あたりが、「そんなこと言ったって、遺言状をみてみろよ。何枚あったって一番所しいモノが最優先すんだよ。そんなこたあ世間のジョーシキってんだ」と言うに決まっている。

 そのとおりなのだ。新しく書き加えた規定は「特別規定」とか「例外規定」とされ、従来の規定である「一般規定」や「原則規定」より優先する。そうでなければ新しい規定を定める意味がないからだ。その結果、9条2項の「戦力不保持」「交戦権否認」は残っていても、自衛隊は「その例外」となり、例外の自衛隊には「特別に」交戦権が認められる、という解釈が成り立つ。2項が死文化あるいは空文化するというのは、こういうことをいう。

 しばらくすると政権側は「現実的な安保政策がさらに必要」と言い出し、「2項は非現実的」という理由でその全面削除に突き進んでいく。安倍9条改憲は、こうしてこの国の憲法原則から世界に誇る「平和主義」を根底から奪い取っていくその突破口なのだ。

 いま求められていることは、数多くの人々と共に「安倍改憲NO! 憲法を生かす3000万署名」を全国で広げていくことではないか。それが9条を守り、9条を生かし、9条を世界に広げていくことにつながっていくのではないか。




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2017年ふくしまの今

真木實彦(福島県九条の会代表)

生業、地域を返せ!

 今回福島からは、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟での福島地裁第一審判決をめぐって報告致します。

 全国報道によりお聞き及びの向きもあるとは存じますが、ご容赦ください。

 衆議院の総選挙が突然割って入って公示日となった去る10月10日、福島では感慨を噛みしめ、今後の闘いを誓い合う事態が生まれました。「津波を予測できたのに、国は対策の命令を怠った−−」。東京電力福島第一原発事故の責任を問う集団訴訟で、地裁判決は国の姿勢を厳しく批判しました。全面勝訴ではなかったものの、原告団としては、「真の救済への確実な足がかりになった」と喜び合ったのでした。ちなみに丁度その日は、自民党総裁の安倍晋三氏が公示後初の第一声を挙げるために来福し、福島市内の人のいない吾妻山麓の「四季の里」という原っぱで演説したということが報じられた日でもありました。報道によると演説では原発事故の「ゲ」の字もふれず、また、被害についても「風評被害」の払拭に触れるのみで、「実害」についてはなかったかの如くであったといいます。さて、本題に戻ります。

【国の法的責任と東京電力の過失】

 判決は、今年3月17日前橋地裁判決に続き、国の法的責任と東京電力の過失を認め、断罪しました。
@ 国が2002年の地震本部「長期評価」等の知見に基づき2002年末までに詳細な津波浸水予測計算をすべきであったのにこれを怠った(予見義務)。
A 予測計算をすれば、第一原発敷地内の主要施設が位置する高さを超える津波が襲来し、全交流電源喪失に至る可能性を予測しえた(予見可能性)。
B 非常用電源設備等は「長期評価」から想定される安全性を欠き、技術基準に適合しない状態になっていた(回避義務)。
C 2002年末までに国が規制権限を行使し、東電に適切な津波防護対策をとらせていれば、全交流電源喪失を防げていた(回避可能性)。

 判決は、安全よりも経済的利益を優先する「安全神話」に浸ってきた原子力行政と東電の怠りを法的に違法としたものであって、憲法で保障された生命・健康・生存の基盤としての財産と環境の価値を実現する司法の役割を果たすものとして、今後のこれに続く原発裁判における司法判断の方向を指し示すものと評価されるものでした。

【被害救済の範囲と水準・原状回復請求について】

 賠償金額については、国の避難指示がなくても、放射線量が高くなった地域については慰謝料の増額や対象の拡大を命じています。ただ、増額の対象時期は、当時の政権が原発事故の「終息宣言」を出した2011年12月までとしました。

 また、原状回復請求については、「切実な思いに基づくものであり、心情的には理解できる」としながらも、「求める作為の内容が特定されていないものであって、不適法である」として棄却しました。残念ではありますが、現在の我が国の司法判断の限界を示しており、「もとどおりの地域を返せ」という正当な要求を実現するために今後とも実効性ある原状回復を求めて法廷内外で奮闘していく必要があるでしょう。

 全国各地の原発訴訟は、来年の3月には続々と判決を迎えることになります。事故現地の福島の判決が大きな影響力をもって波及していくことを切望します。福島地裁の判決に対しても国や東電の控訴は必至です。長い闘いになるでしょう。負けられません。最後まで頑張り抜く覚悟です。(福島大学名誉教授)




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鈴木彰の「争ってみせているがみな仲間」




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【連載・沖縄通信】辺野古で闘おう!

原田みき子(沖縄県本部町在住)

 衆議院選挙が終わって、どっと疲れが出たのは、おそらく私ばかりでないだろう。沖縄はもちろん、全国にたくさんいらっしゃるのではないか。安倍政権を崩せなかった悔しさは溜まった疲労を倍増させる。しかし、ここで折れてはいけない。何しろ政府は勝利の高笑いをするかのように、1日100台以上のダンプカーやコンクリートミキサー車を辺野古に入れ、護岸工事を進めている。阻止行動で座り込む市民は、これまで以上に暴力的に排除され鉄柵の囲みの中に押し込まれている。

 10月11日夕方、東村高江の民間地に米軍機が墜落し大破した。この機種は55人を運べる大型機で全長30メートルもある。2004年8月に、沖縄国際大学に墜ちたCH53と同じ機種である。あのときはオリンピック報道にかき消され、全国的な報道が少なかったが、今回も選挙戦の真っ最中だった。もし全国メディアがこの事件をきちんと取り上げていたら、多少は安倍政権の「トランプ大好き路線」に疑問を感ずる人も出たのではないだろうか。

 これまで同様、事故現場は米軍に封鎖されて誰も入れなかった。県や沖縄防衛局は放射性物質や有害物質の汚染を調べるため、土壌を採取する予定だった。防衛局は土壌を搬出しないよう申し入れもしたが、米軍は事故機の残骸とともに汚染の恐れがある炎上地点の表土を運び出してしまった。20日の夕方6時30分を過ぎて、やっと沖縄県警は炎上地点の調査に入ることができたが、すべてが持ち去られた後だった。

 さらに怒りを覚えるのは、運び出した土砂を同じ高江の米軍ヘリパッドN4地区に搬入したということ。あまりにも人を馬鹿にしている。高江には人も住んでいるし子どもも生まれている。集落を囲むように6つのオスプレイヘリパッドをつくり、毎日のように夜11時過ぎまで、オスプレイやCH53が超低空で飛び交っている。

 10年以上、高江の人びとは24時間体制でヘリパッド建設に反対し闘ってきているのに、米軍はまったく無視している。米軍に追随する日本政府も同罪である。安倍首相はトランプ大統領と組んで北朝鮮に圧力をかけるというが、2人は世界から孤立していないか。そして、そのとばっちりを受けるのは米軍基地が集中している沖縄である。

 しかし、考えてみれば「今日の私は明日のあなた」である。安倍政権は改憲し軍事力をいっそう強化するだろう。日本中が米国の植民地にされる前に、立ち上がらねばならない。まず辺野古の基地建設を止めよう!




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映画誕生122年 時代を語る映画(2)

桂 壮三郎(日本映画復興会議代表)

 日本最初の撮影所は1908年(明治41年)目黒にグラススタジオができ、その後に、東京・京都などに造られます。本格的な時代劇映画「目玉の松ちゃん」シリーズが牧野省三によって製作され大変な人気を博します。

 日本映画の本格的なスタートは、1912年(明治45年・大正元年)日本活動写真株式会社(日活)の創立をもって始まります。日活は東京と京都に撮影所をもち、東京では主に現代劇、京都は時代劇を製作します。また、松竹では、小山内薫が主宰した「松竹のキネマ研究所」を開設し、伊藤大輔(国定忠治3部作)村田実、島津保次郎等を生み、傍ら内田吐夢、溝口健二が参加します。そして、若きプロデューサーの城戸四郎が「松竹蒲田調」を松竹の映画路線として確立を計ります。また、暗い世相を反映して権力ヘの反抗を描いたアナーキスト的作品「首の座」、「雄呂血」、「浪人街」などの傾向映画が大衆の共感をえます。

ソビエトの影響

 ソビエトの社会主義的映画の影響を受け「日本プロレタリア映画同盟」が日本映画史上はじめて、労働者、農民の闘いをカメラに記録し、民衆の中で自主製作・自主上映運動を展開させました。この運動は日本映画遺産史として記録されることでしょう。また、伊丹万作による時代劇「国士無双」が製作され、ニセモノこそホンモノでないかと時の権威を否定する問題提起の作品が製作され話題となりました。

 日本映画の無声映画からトーキー映画への転換は1931年(昭和6年)松竹が日本初のトーキー映画「マダムと女房」から始まります。しかし、設備資金が膨大にかかるために、小プロダクションの倒産が頻発し、松竹、東宝、大映の3大映画会社に3分され終戦まで続きます。

 昭和14年「映画法」、昭和16年「映画新体制」が実地され原材料の生フィルム、現像薬品、資材、電球等が映画会社へ割り当てされ日本映画は完全に国の体制に組み込まれ戦争報道部映画班化します。「ハワイマレー沖海戦」「加藤隼戦闘機」「五人の斥候兵」「土と兵隊」「上海陸戦隊」など国策映画を製作し公開させます。亀井文夫の記録映画「上海」のちの「戦う兵隊」は反軍的作品として軍部から睨まれ上映禁止されます。小津の「戸田家の兄弟」(昭和16年)、「父ありき」(昭和17年)、溝口の「残菊物語」(昭和14年)は時局認識が足りないと軍部から非難されます。

 軍部は木下恵介に「陸軍」(昭和19年)を製作させますが田中絹代の母親が息子を見送るラストの場面が気に入らず木下恵介を非難しました。戦時下の統制では映画が真面目にできないことを悲観した木下は終戦まで映画製作を中断します。(静岡県浜松市の旧浜松銀行協会の建物に木下恵介記念館があり大監督が偲ばれます。映画好きな人には一見の価値があります。)

 駆け足で世界の映画の誕生から日本映画の黎明期から終戦までを考察してきました。この小論を通じて本当に映画が国民の健全な娯楽文化として定着する事を願い映画人として今後も映画を通じて時代を語る文化と文化産業を考察して行きたいと思います。(小手指南在住)




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「会」が公開質問状を外務大臣に提出

2017年10月23日
外務大臣河野太郎殿
マスコミ・文化九条の会所沢代表世話人
草鹿光世/中原道夫/持丸邦子
事務局長 佐藤俊廣

「核兵器禁止条約」の邦訳に関する公開質問状

 日々のご精励に敬意を表します。
 本年7月7日、国連本部で採択された「核兵器禁止条約」について質問いたします。ご多忙とは存じますが、11月20日までに文書にてこ回答くだされば幸いです。

【質問】
 核兵器禁止条約が採択されて3ヵ月以上が過ぎましたが、わが国では未だにこの条約が邦訳されて政府から公表されていません。その理由をお答えください。

【質問理由】
 9月から開始された核兵器禁止条約の署名手続きはすでに50カ国を超え、来年には発効することが確実になっています。また10月には、核兵器禁止条約の採択に大きく貢献したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が本年度のノーベル平和賞を受賞しました。

 人道的見地から核兵器を禁止した条約が採択された背景やノーベル平和賞を受賞したICANの運動の原点には、「悲劇を二度と繰り返してはならない」と声を上げつづけてきたヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの70年以上にわたる運動がありました。

 唯一の戦争被爆国の国民による核廃絶を願う運動が、核兵器禁止条約を生み出したといっても過言ではないと考えます。しかしながら核兵器禁止条約が採択されて3ヵ月以上が過ぎますが、私たち国民はその内容を未だに政府から公表されていません。

 核兵器禁止条約第20条は、「アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の本条約テキストを等しく正文とする」と規定しています。

 つまり核兵器禁止条約は、この条約を拒絶した核保有国の各国語で正文化され公表されているのです。同様に核兵器禁止条約を拒否した日本の政府であっても、条約を邦訳し国民に公表するべきと考えます。

 国連における重要な動向を自国民に公表することは国連加盟国としての責務です。政府の方針と異にすることは国民に公表しないというのであれば、この国は国民主権を基礎とする民主主義国家とはいえません。

 核兵器禁止条約は、核の開発・製造を禁じ、核の保有を禁じ、核の移譲を禁じています。これは日本の国是である「非核三原則」と合致するものです。

 貴殿は外相就任1カ月後の9月8日の記者会見で、「政府は非核三原則の見直しをこれまでしたことはございませんし、これからも見直しの議論をする予定はありません」と述べています。国是であるr非核三原則」を堅持するためにも、核兵器禁止条約を早急に邦訳し国民に公表するよう尽力されることを求めます。




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太郎の部屋のほっとたいむ 58

好調・名取事務所の新作

鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

 名取事務所は6月公演のカナダ演劇最新作「屠殺人ブッチャー」で読売演劇大賞上半期に作品賞など4部門にノミネートされた。7月にも連続してカナダ演劇「ベルリンの東」を上演。なかなか好調である。今回上演の「奈落のシャイロック」は、堤春恵の6年ぶりの書き下ろし。演出は6月、7月と同じく小笠原響。下北沢の小さな劇場空間を効果的に活用。

 物語は100年前の明治座で起きた騒動を描いたもの。日本の新劇の幕開けがどのようにして始まったのか、興味津々な展開である。

 舞台は洋行帰りの船上から始まる。俳優の二代目左団次(千賀功嗣)と新聞記者の松居松葉(吉野悠我)が、帰国後、日本の演劇をどのように改革するのかである。それは、女優を使った「ヴェニスの商人」を上演すること、江戸以来つづく「芝居茶屋」を撤廃して、客が切符を購入できるようにすることだった。しかし、実行に移すには多くの難題があった。

 「奈落」とは、舞台用語では舞台下に広がる空間、盆回しの柱などがある。その奈落で見事な芝居を見せてくれた。新井純、森尾舞、本田次布、志村智雄の俳優陣もみごとに好演、満足のひとときであった。
=下北沢・小劇場B1、10月13日所見=




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コ一ヒーブレイク

《写真教室》

 延期に延期を重ねて手に入れた最高の山日和に、栂池から白馬乗鞍、小蓮華山へと出かけました。

 ロープウエイを利用して、標高1850mほどの高原を散策することのできる栂池自然園が登山の出発点です。山小屋は既に小屋じまいを迎える時期で紅葉は今が盛りとあれば、今日のこの日を逃すまいという登山者や観光客でにぎわっていました。

 その日は白馬大池に一泊し、翌朝、小屋に荷物を置いて空身で小蓮華山に。夜は天の川を、明ければ山と紅葉を撮影するという登頂以外の目的もあって、同行の二人は一眼レフカメラ持参。対する私は夫のお下がりのコンパクトカメラです。

 こんなに良い天気があるのかと思うほどの晴天。360度の大展望に圧倒され、被写体を選ぶとか構図を考えるなんておよそ無用といった自然の大盤振る舞いに、安易にシャッターを切るばかりでした。

 当然のことながら、写真の知識のない私はカメラが持っているいくつかの機能のなかの“オート”にお任せです。というわけで、出来上がった風景は「う〜ん、どうも違うなあ…」。感激のあの場面には及びません。それでも、現場に行かなければ手に入れられないという原則に則った貴重なショットです。ちょっと胸を張って、かっこよく撮れた写真に「本当はこういうことを狙ったはずですが」と言い訳を添え書してカメラに詳しい人ヘメールを送ると、嬉しいことにいろいろと貴重なノウハウを返信でご教示くださいました。

 夕日や朝日のオレンジ色はこうしたら、一面に広がる光景にはワンポイントを、大きすぎるサイズは小さくして、効果的な逆光は…等々、通信教育ならぬメール教室です。

 デジカメは考えずに撮ると批判されるのももちろんですが、初心者が試行錯誤をするためには便利です。いろいろと試してみて下さいとのエ一ルに嬉しくなって、少し勉強してみようと70の手習い。お笑いくださるな。
原 緑




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「いまこそ対話を」暉峻淑子さん講演要旨(最終回)

 国語学者の金田一京助をご存じと思います。アイヌの言葉を収集し、民族的叙事詩「ユーカラ」を翻訳、この世に伝えた言語学者です。

 中学の教科書に金田一の「心の小径」が載っています。金田一は、明治40(1907)年、樺太にアイヌ語の収集に赴きました。しかし、話をしているアイヌの人びとに近づいても、みんな逃げてしまい、話しかけてもプイと横を向いてしまう、そんな状態がつづきました。

 言語の収集などできないと帰ろうとしたとき、遊んでいる子どもをスケッチしていると子どもたちが寄ってきて、何かアイヌ語を話しました。人間の顔を大きく描き、目を描くと、子どもが何かを言い、鼻を描くと、子どもがまた言いたしました。そこで彼は考え、ぐじゃぐじゃの線を描きました。すると、子どもは首をかしげ「ヘマタ」と言いました。「ヘマタ」とは「何?」ということです。それから金田一は、小石を指して「ヘマタ?」と言い、草を指して「ヘマタ?」と言って、子どもたちは次つぎと言葉を教えてくれました。たちどころに74個の言葉を収集したのです。

 そして、子どもに教わった言葉を使って、マス釣りをしている大人に話しかけると、急に笑顔になりました。言葉こそは、人間の心を隔てていた幕を切って落とす、「心の小径」だったのです。

 私は対話とはそういうものだと思います。当時のアイヌの暮らしは貧しいものでしたが、それなりに生きる知恵を持っていました。相手を軽蔑したり、排除したり、よこしまな心があると、それは表情にも出ます。しかし、金田一は相手を同じ人間として尊重し、アイヌの人たちにとても愛されました。だから、「ユーカラ」を翻訳するような大きな仕事ができたのです。

 北欧の国では、精神障害とりわけ統合失調症の患者に薬を使わないで、対話を重ねて治すオープンダイアローグという試みが進められています。薬で治した人は再発率が高く、対話で治した人は再発率が低いという結果が出ています。対話は患者の心に届き治療効果が高いと言われています。

 私はこの間、図書館で対話に関する本をたくさん読んできました。人間は、プラトン以来、対話の思想を千数百年も持ちつづけてきたのです。対話というのは、人間としてどう生きるか、生き方を話し合う中から自分で取得していくことです。

 人間は、一方で戦争をしながら、一方で対話による平和も求めてきました。対話には勝ち負けがありません。言いくるめる、命令する、これは対話ではありません。おたがいに話し手になり、聞き手になり、良い方向を見つけていくことが対話です。

 忖度する社会でも、武力の社会でも、お金の社会でもダメです。暴力・虐待なんてとんでもないことです。対話は人間の本性そのものです。いまこそ「対話する社会」にしなければなりません。もう一度、私たちは生まれながらに持っている対話という能力を使って、平和、憲法を広めていきましょう。(文責・編集部)




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事務局から

 台風が次っぎにやってくる季節になりました。

▼選挙公示前日「9の日」行動
 10月9日、新所沢駅での定例の「9の日」行動には16名が参加。その後行われた所沢駅東口での所沢「9条の会」共同街頭宣伝には、全体で32名が参加しました。「憲法9条をまもる平和の1票を!」のチラシを配り、「安倍9条改憲N0!」3000万人署名に取り組みました。

▼総選挙で自公が3分の2、改憲勢力が8割を占める
 選挙後の勢力分野は、憲法9条をまもるうえで、厳しいものとなりました。改憲を公約の柱にかかげた自民党は、今後、改憲発議に向け動きを加速させる可能性があります。しかし、国民が改憲を望んでいないことは各種の世論調査からも明らかです。安倍9条改憲を許さないためには、目に見えるかたちでどれだけ反対の声を広げることができるかにかかっています。会報に「3000万人」署名用紙をはさみました。会員・読者のみなさんの積極的な取り組みを訴えます。第−次集約は11月30日。署名が済みましたら、最寄りの世話人、事務局まで。

▼11月3日、国会包囲大行動
 日本国憲法公布から71年目のこの日、全国市民アクション主催の国会包囲大行動が11時から行われます。総選挙後初のデモンストレーションです。ご参加ください。

▼映画「スノーデン」
 チラシ・チケットのお求めは、佐藤(2942・3159)まで。




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