機関紙122号 (2016年7月2日発行)



もくじ

参議院戦 4野党と市民の共闘で勝利を
 改憲派に「3分の2」獲らせない
 厳しい情勢、総力で反転攻勢
 選挙に勝って政治を変える
 市民連が4野党と選挙協定
 改憲派「3分の2」に届く
 野党で「3分の1超・81」を
 躍進する1人区に勝機あり
   行木恒雄(ジャーナリスト)

和且柔(わ、かつ、じゅう)
   中川とき彦(書家・若松町在住)

ヒトラーと緊急事態法
 政権把握そして弾圧
   鎗田英三(駿河台大学名誉教授)

「オバマ・ヒロシマ演説」と「国際学連の歌」
 「未来を予測する才能」
 「核無き平和」はいつ
   林 茂雄(名古屋外語大名誉教授)

鈴木彰の「口は八丁 手足のクセはそのまんま」

太郎の部屋のほっとたいむ 43
 劇団区民劇場への共感
   鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

【連載・沖縄通信】「全基地撤去へ!」県民の決意は固い
   原田みき子(沖縄県本部町在住)

ジャーナリズムと私
   小川美穂子(「さきたま新聞」主宰)

コ一ヒーブレイク 《住めない…》
   原 緑

憲法カフェB
 岡部さん「彫金」を語る

事務局から
 ▼戦争法廃止の2000万署名、目標の2000筆を超える
 ▼「改憲」、参議院選挙の一大争点に
 ▼渡辺治さんが講演、総会にご参加を




参議院戦 4野党と市民の共闘で勝利を
 改憲派に「3分の2」獲らせない

行木恒雄(ジャーナリスト・椿峰在住)

厳しい情勢、総力で反転攻勢

 「まず、3分の2をとらせないこと」(民進)、「立憲主義と民主主義を取り戻す」(共産)、「アベ政治の暴走を止める」(社民)、「子ども手当充実、原発再稼働反対」(生活)一一参院選は7月10日の投開票に向けて舌戦たけなわ。戦後政治史上、初の野党4党と市民の共闘で、安倍政権の悪政に真っ向から全面対決する政治決戦です。

 その中心的課題は改憲派4党(自民、公明、おおさか維新、日本のこころ)に、衆院に次いで参院でも改憲発議できる「3分の2(162議席)」を獲らせないことです。しかし、新聞各社の調査だと、改憲派が優勢で「3分の2うかがう」との厳しい情勢です。総力を結集して反転攻勢に出ましょう。

選挙に勝って政治を変える

 「参院選に勝って安保法制(戦争法)廃止、改憲阻止して政治を変えよう」、「32の一人区で野党統一候補の必勝を」一一選挙戦はすでに中盤戦、各地の演説会は熱気に包まれています。

 安倍政権の暴走には目に余るものがあります。秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定、違憲の戦争法、さらに9条含む危険な改憲計画の推進で平和を脅かしています。大企業優遇のアベノミクスで貧困と格差を拡大、医療・福祉など社会保障の後退などで国民生活を破壊しています。本来は中止すべき消費増税を延期したものの一時しのぎに過きず、家計は冷え込んだままです。原発再稼働、辺野古基地建設など、あらゆる分野で民意にそむき、国民の怒りが広がっています。

市民連が4野党と選挙協定

 このような政治状況を変革しようと、学生団体「シールズ」や「ママの会」など5団体で結成した「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」がこのほど4野党(民進、共産、社民、生活)と参院選勝利のための「政策要望書」を交わしました。「改憲阻止」、「個人の尊厳を擁護する政治の実現」、「保育士の待遇改善」…など幅広い要望での政策協定です。

 4野党と市民連合は東北から沖縄まで一人区32で画期的な野党統一候補を実現させました(民進15、無所属16、共産1)。この野党共闘の力で複数区、比例区でも議席を増やしましょう。有権者の50%近い無党派の人々がまだ投票先を決めてないので、働きかけることが急務です。

改憲派「3分の2」に届く

 ところで、参院の議員定数は242で、この半数121が改選議席。改憲派4党は非改選が84もあるので、あと78獲れば「3分の2」=162に達します。

 直近の大手紙(24日付、朝日、毎日、読売、日経など)の序盤の選挙情勢調査を総合すると、いずれも「改憲4党、3分の2うかがう」。自民、公明、お維新は改選議席61に15余上積みして76程度を獲得し、目標「78」まで後一歩との予測です。

 自公は改憲問題を争点から隠して、アベノミクスによる「経済最優先」を掲げています。しかし、英国のEU離脱は急速な円高と株安を引き起こし、アベノミクスヘ大きな打撃です。現地進出企業、輸出産業などへの影響も大きく、EU離脱対策を誤れば、安倍政権は窮地に陥ります。

野党で「3分の1超・81」を

 一方、4野党が改憲派「3分の2」を阻止するには「3分の1超・81」を絶対に確保しなければなりません。4党の非改選議席がわずか27なので、新たに54議席が必要です。

 ところが、4党の改選議席50のうち民進が43だが、6年前、旧民主政権下で獲得したもので、支持率低下の今回は激減して30前後に落ちるとの予測も。半面、野党共闘の実現に努力した共産は比例区を中心に改選議席3を上回って7〜9に躍進しそう。社民1で生活はO。4党合計で40程度。これでは非改選27を加えても67程度で、81には14議席も足りません。

躍進する1人区に勝機あり

 勝敗のカギを握るのは一人区32の野党統一候補です。朝日の調査だと、「自民優勢」が秋田、栃木、熊本など20、「統一候補優勢」が宮城、長野、新潟など8、「接戦」が青森、山梨、愛媛、大分など4。3年前は野党がわずか2だったことを思えば、野党統一の効果は大きい。

 一方「安倍政権下での「改憲反対が48%」と「賛成31%」を超えており、無党派層の53%が「統一候補に投票する」と答えているだけに(朝日)、まだまだ押し戻すチャンスは十分あります。情勢の厳しさに悲観せず、友人、知人、とりわけ初めて選挙権を持つ18〜19歳の若者たちに投票を呼び掛かけましよう。




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和且柔(わ、かつ、じゅう)

中川とき彦(書家・若松町在住)

 120号で仲代達夫のことを書いたが、その中で「時間のあと」は「時雨のあと」に訂正願います。

 俳優の高倉健に『旅の途中で』『南極のペンギン』・米倉斉加年(よねくらまさかね)『いま、普通に生きる』・随筆家の岡部伊都子に『伊都子南島譜』と本紙連載沖縄通信の原田みき子さんによって日取真俊(めどるましゅん)氏の現況を知り、『水滴』を読み返しているところです。

 高倉健は有名な俳優でした。ことに晩年の映画作品は涙を誘うものが多く、米倉斉加年は変わり者の俳優であったみたいだが、画がとても素晴らしく、絵本も出版されている。この三人の随筆文はとてもわかりやすく読みやすい。夫々の沖縄想い出話は「沖縄のやさしさ」ということを各人各様の歴史で語っておられます。

 私は四十代の頃から、沖縄の書友と、古典の臨書を書きあうために、年に一度は訪づれている。当初は、チビチリガマ、伊波普猷(いはふゆう)のお墓等々、観光コースにはない所に連れて行って貰ったりしてた。ここ数年は書友の塾で寝泊まりさせて頂き、ずっと教場にこもりきりです。夜は泡盛とテビチに島ラッキョウ。

 『別冊一枚の繪・画集わたしの沖縄』に、多くの画家達が沖縄を描いた絵をみてると、不思議なやすらぎを覚えます。その中で、「おもろさうし」研究者であられた外聞守善(ほかましゅぜん)先生は次の様に語っておられます。

 生活の中から生まれてくる素朴な美しさ、生活の汗の匂いの染みこんだ美しさ、とでもいうのだろうか、それは、赤瓦と白い漆喰の瓦屋根だけでなく、陶器、漆器、染織等々に共通してみられる素朴な美しさである。沖縄の造形美について、しばしば「やさしさ」「おおらかさ」「あかるさ」ということばでいい表されることがあるが、それらは島に住む人たちの、肩を寄せあう生活の心づかいなのであって、それらのものが美意識に支えられていたり、美的造形であるとはいえないように思う。……略。

*和且柔(わ、かつ、じゅう)=和らぎて物やさしきこと
(文中、冒頭の訂正は編集部のタイピンクミスです。お詫びします)



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ヒトラーと緊急事態法

鎗田英三(駿河台大学名誉教授)

 今回の参議院選挙では、災害、テロを理由に緊急事態条項(国家緊急権)導入のため憲法改正が目論まれている。だが、「お試し改憲」にとどまるのではなく、それ自身「独裁」への決定的な第一歩であることを、ドイツの例から学ぶ必要がある。

 永井幸寿氏は、『憲法に緊急事態条項は必要か』(岩波ブックレット)の中でこう述べている。「当時最も民主的な憲法」といわれたワイマール憲法の48条の「強力な国家緊急権(大統領緊急令)」を使って逆にナチスが合法的に独裁権を取得してしまった。すなわち、ナチスは政権掌握(1933年1月30日)後、国会放火事件を口実に大統領緊急令を使って、基本的自由を制限し、さらに、3月23日には、国会の立法権を全部政府に委ねてしまう「全権委任法」(授権法)を制定し、「わずか一ヶ月足らずで独裁を確立してしまった」。

政権把握そして弾圧

 しかし、「独裁に至るプロセス」を細かく見ていく必要があろう。ワイマール共和国の民主主義体制が崩壊に瀕したのは、ヒトラー政権掌握前の1933年3月、ブリューニングが首相に就任して「国会に基礎を置く議会主義的政府から、いわゆる大統領政府、つまり共和国憲法48条が定める『大統領緊急令』に依拠する政府へと移行した」(イアン・カーショウ)からである。ブリューニング以降の首相たちも、ヒンデンブルク大統領を通して、議会を通さずに大統領緊急令を濫発し、民主主義体制の破壊を進めていった。パーペン首相は、大統領緊急令に依拠して軍と警察の力を借りて社会民主党支配のプロイセン州政府を罷免した。さらにシュライヒャー首相は、軍による独裁国家を画策した。それから、ヒトラー内閣の誕生であり、それに大きく貢献したのが保守派エリートであった。左右への二極化による内戦的状況の中で、「飼いならせる」と思いこみヒトラーを選択したのである。こうしてみると、ヒトラーが民主主義の破壊・独裁を「開始」したのではなく、反民主主義のうねりの中で「完成」させたことが分かる。

 では、なぜ緊急事態法(大統領緊急令)が導入されるようになったのか。敗戦国ドイツは1929年からの世界恐慌の影響をもろに受け、4人に1人が失業する深刻な経済的危機の中で、既存政党への失望が広がり、ナチス・共産党の左右の急進勢力の台頭で議会がマヒし、「権力真空」状態(国家危機)が現出した。この「危機」の中、支配層や大衆は、政党や利益団体などとの交渉よりも、上からの強制力の貫徹を目指す国家の指導権を求めたのである。

 ドイツと現在の日本を比較すると、権威主義的(=反民主主義)なアベがやろうとしていることは、1930年以降のドイツと相似している。が、決定的な違いがある。今、日本にはドイツのような危機的状況は存在しない。G7での「リーマンショック級の経済危機」の強調も、冷たくあしらわれた。そこで、北朝鮮・中国からの「軍事的脅威」や自然災害やテロを口実に「危機」を意識的に演出しているのだ。「笛吹き男」アベに国民がついてくる為には、国民に真実を知らせぬよう、マスコミヘの介入や国家秘密が意味を持ってくる。

 「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」(ヴァイツゼツカー元大統領)




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「オバマ・ヒロシマ演説」と「国際学連の歌」

林 茂雄(名古屋外語大名誉教授)

 『輝く太陽青空を再び戦火で乱すな、我らの友情は原爆あるも絶たれず、闘志は火と燃え平和のために戦わん、団結固く我が行くてを護れ』−−

1950年代に全学達デモに参加した学生たちにはおなじみの『国際学連の歌』である。オバマ米大統領が広島を訪れて原爆犠牲者慰霊碑前で行った『核廃絶のヒロシマ演説』をテレビで聴取した時に、私の頭の中ではこの歌が鳴り響いた。「71年前、雲ひとつない青空から死に神が降りてきて世界が変わった。閃光(せんこう)と炎の壁は都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべてを手中にしたことを実証した」との文句で始まったオバマ演説が、多分、心の中でイメージを重ねたからだろう。

 国際学連は第二次大戦後の1946年に欧州各国の大学自治会連合で結成され、世界112の国・地域の学生自治会連合が加盟した。本部はチェコの首都プラハに置かれて、後に全学連も加盟した。オバマ氏の『核廃絶のプラハ演説』が彼のノーベル平和賞受賞に繋がったこともイメージ形成に影響したのかも知れない。

 当時、米国に続いてソ連(現ロシア)も核兵器保有国になり、東西冷戦体制が始まっていた。核兵器の存在が平和を乱す要因であることを『国際学連の歌』は示唆していた。歌の原詩を誰が何語で書いたのか、誰が日本語に翻訳したのか知らない。作曲者も知らない。

「未来を予測する才能」

 メロディーはやや荘重だが明るく、集団行進に適していた。「国際的な友情は原子爆弾が(東西)双方に存在しても絶えることはない」と詠い上げた作者は、未来の歴史を予測する才能があったのか。以後の歴史は皮肉にも、『核の均衡』を中核にした「大規模戦争のない平和」に推移した。その間、核兵器使用の誘惑に近づいた者は排除された。

 広島と長崎への原爆投下はトルーマン米大統領の最終決断で行われたが、朝鮮戦争で国連軍の戦況が不利になり「原爆使用」を要請した国連軍司令官・マッカーサー元帥は同じトルーマン大統領により即日更迭された。朝鮮半島の局地戦では勝利しても、世界大戦に拡大する脅威のある原爆使用は排除された。その後、「キューバ危機」でケネディ米大統領が「原爆使用も辞せず」と開き直ったことがあるが、フルシチョフ・ソ連第一書記の冷静な判断で回避された。ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争でも「原爆使用」が現実の話題になったことはなかった。「所持しても使えない」存在が核兵器だが、戦略的には「必要悪の存在」との評価が世界の共通認識になった。

 オバマ大統領の『ヒロシマ演説』で周到に避けられたのが、米国が原爆投下に謝罪したのではないとの文言だった。米国の公式声明でも謝罪ではないことが強調された。原爆被災者には物足りないかもしれないが、真の加害者が米国ではなく、戦争自体であることは明白だ。歴史の説明に「If」(もし…ならば)の仮定法を使うのがタブー(禁句)であるのは十分に承知しているが、敢えて使わせてもらう。「もし太平洋戦争で日本が米国より早く原爆を開発していたら、非人道的な兵器だからと使用しなかったか」の設問だ。多分、当時の戦況不利の状況下で、文字通りの“一発逆転”を期待して躊躇なく使用したのではないか。この設問にNOと言える者はほぼ皆無だろう。特攻攻撃で真珠湾のあるハワイ・ホノルルあたりが炎上していたかも知れない。ドイツが原爆開発に先着していても同様だと思う。要するに、謝罪要求も、謝罪拒否も未来の世界平和にはあまり意味がないと言えるのではないか。繰り返すが原爆被害の加害者は戦争自体である。

 米大統領選で共和党候補に指名される可能性が高いドナルド・トランプ氏が、米国の軍事費削減に絡んで日本と韓国の核武装を主張して物議を醸している。国際状況全体が『右旋回』のナショナリズム志向の雰囲気の強い時に、実に余計なことを言うと腹立たしい想いだ。

 今、必要なことは世界の核兵器を可及的速やかに、少しでも削減することだ。政治的な過激派テロ組織や国際的な組織犯罪者集団が核兵器を所持した時の恐怖は考えただけでも戦標(せんりつ)が深まる。

「核無き平和」はいつ

 ともあれ、核兵器発射の権限を持つ米大統領が、核兵器の廃絶を訴えることに、『核兵器の矛盾』が表明されていないか。廃絶への訴求力が高まるのか、或いは低下するのか。残念ながら「核無き平和」の時代はまだ見えて来ない。何時になるのだろうか? 青空に向かって『国際学連の歌』でも歌おうか。『輝く太陽青空を再び戦火で乱すな…』。(元東京新聞ワシントン総局長)




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鈴木彰の「口は八丁 手足のクセはそのまんま」




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太郎の部屋のほっとたいむ 42

劇団区民劇場への共感

鈴木太郎(詩人・演劇ライター 中新井在住)

 劇団区民劇場は東京・墨田区に拠点を置く市民劇団である。1955年7月に創立。ことしで61年、長い歴史と実績をもっている。「安い料金で大人にも子供にも心から楽しんでもらえる芝居を」という理念をもち、年2回の公演を維持している。最近でも「煙が目にしみる」(堤泰之=作)、「出航」(木村快=作)、「安楽兵舎VSOP」(ジェームス三木=作)、「切子たちの秋」(ふたくちつよし=作)などの話題作を上演。演出は劇団の長谷川正美。会場は曳舟文化センター。今回から1300円になった。

 今回の上演作品は「明日葉の庭」(堤泰之=作、長谷川正美=演出)。女性たちを中心にした温かな物語。6月18日から20日まで、3回公演で1000人を超える観客を集めた。

 舞台は、東京都のとある島の古い家をリフォームしてオープンした「明日葉ハウス」。ハウスの主はまだ若い滝野日莱子(柴田美和)。彼女を中心に入居してきた6人の女性たち。これまで、見ず知らずの関係の人たちが、一つ屋根の下で暮すなかで、それぞれの人生の重みや過去の隠された事実などが明らかにされていく。そして島の人たちとの関わりの中で心にも変化が生まれてくる。

 ハウスの住人役の中村喜代子、長谷川美由紀らが好演、日莱子に好意を持つ明日葉を持ってくる青年の青山敦彦(中内正美とWキャスト)が新鮮。全体に落ち着きのある展開を見せたが、その分、緩慢な印象を与えたのが残念。自前のセツトは効果的だった。




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【連載・沖縄通信】「全基地撤去へ!」県民の決意は固い

原田みき子(沖縄県本部町在住)

 カッと照りつける真夏の太陽。梅雨が明けた沖縄は戸外へ出るのがためらわれるほど日差しがきつい。6月19日の「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」は、この厳しい日差しの中で開催された。くらくらめまいを覚えるほどで、救急車で搬送される人も出る中、参加者は5万人の目標をはるかに超える6万5000人を記録した。

 みんな怒っている。みんな泣いている。次つぎに登壇する方がたは被害にあわれた女性を哀悼し、再び事件を起こさせないことを誓った。特に女性の父親の「娘で最後にしてほしい。全基地撤去と新基地建設断念を望みます」というメッセージは深く心に残った。6月19日のこの日は「父の日」であり、どんな思いでこのメッセージをしたためられたことだろう。想像するに余りある。参加者全員が全基地撤去と辺野古の新基地建設断念を心に誓ったに違いない。

 最後に登壇された翁長知事は、守れなかったことを謝罪するとともに、今後の運動について「負けてはならん」とウチナーグチ(沖縄方言)で力強く叫ばれた。日米政府の厚い壁に対して、くじけそうになる心に対して私たちは負けるわけにはいかない。

 ところで6月13日の沖縄タイムス紙に興味深い記事が載った。1995年の少女暴行事件のときに国防長官だったウイリアム・ペリー氏は、当時のテレビインタビューで「在沖米軍の整理・縮小について、日本のいかなる提案も検討する」と答えていたこと。さらに駐日大使だったモンデール氏は2004年4月に、米国務省付属機関に対し「米兵は沖縄から撤去、少なくともプレゼンスを大幅削減すべき」と考えていたこと、一方で日本側が海兵隊の駐留継続を望んでいたことを明かしている。つまり沖縄の困難は日本政府の無策に起因していることが明確なわけで、翁長知事は近々渡米して沖縄の民意を直接アメリカに伝える予定という。安倍首相、菅官房長官らは、何かと言えば「法治国家」をのたまうが、沖縄から見れば「放置国家」としか見えない。

 7月10日は参院選の投票日。沖縄では伊波洋一氏を当選させるために、草の根的な運動が拡がっている。相手は安倍首相の意を受け、基地建設に反対する市民を排除するよう、海上保安庁や警察庁に激を飛ばす島尻安伊子大臣。当選2回目で入閣し、破格の厚遇に感謝してか「身売り安伊子」と異名を取るほどの働きぶり。「台所から政治を変える!」と謳う彼女に県民は「エプロンの下から銃がのぞいている」と返している。




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ジャーナリズムと私

小川美穂子(「さきたま新聞」主宰・熊谷在住)

 もう随分前のことのような気がする。でも、まだ3年と少しなんだけれど。すべてはそこから始まった。その時、初めて、むのたけじに会った。あの、伝説の、たいまつを掲げて現役で書き続けているひと。目の前のジャーナリストは、文字通り、口角泡を飛ばして聴衆に語りかけた。そして高らかに私たちを鼓舞した。《時代が悪い方に進んでいる今、市民がジャーナリストとつながって、戦前の暗黒の時代に戻るようなことがないように》。ガッチリとした手でファンの皆さんと握手して下さった。

 その講演会がきっかけで、熊谷市民の私が第二土曜日2時になるとさいたま市までいそいそと勉強に通うようになった(仕事の他に遠距離介護などもあり、この時間を捻出するのがなかなか大変なのだ)。勉強というのは、『埼玉・市民ジャーナリズム講座』。2013年4月開講だ。直接市民とつながっているメディア・地方紙『埼玉新聞』を応援する意味で、そのサポーターズクラブが中心となり、呼びかけ団体が4団体。そのうちの一つが、私が相棒と二人で書いている発行部数400・不定期発行の『さきたま新聞』という運びになった。流れの中とはいえ、何とも無謀なことにトライしたものだ。そして、今も、出来る範囲でPRと報告に努めている。

 というのは、毎月のゲストは北村肇、斉藤貴男他の著名人あり、詩人や若手現役記者あり、魅力的な上にゼミのように小人数。って、本当はたくさんの人たちに来ていただきたいのだ。が、私にはとても魅力的な講師がゲストでも、なんとも…普通の市民は、学ぶことや社会参加の楽しさから切り離されているみたいなのだ。あるいは忙しすぎるのか。

 今はもう会場ではなくなったが、さいたま新都心駅が最寄りの埼玉トヨペットの会議室を使っていた時、切実に感じた。駅周辺にいるたくさんの人たち。この人たちと私たちはどうしてこんなに乖離しているのか。どうして。電車の中でも思う。スマホを操作する人たち。何をみているのだろう。感じているのだろう。みんな、この国をおかしいと感じたり、辛かったり、寂しかったりしているはずなのに。市民の良識が問われている、この選挙前の2016年6月。沖縄の映画を二本観て、つくづく感じた。私たちは何も知らされていない。でも、「無知は罪」。知ること・表現することの面白さを守ってくれているのは憲法。

 「炭坑のカナリア」なんて嫌だっ。折々に励まされるこの誌面に書く機会を下さって感謝しています。




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コ一ヒーブレイク

《住めない…》

原 緑

 栃木県那須町にある小さな家が、5年前の東日本大震災で事故を起こした東電の福島第1原子力発電所から放出された放射能のホットスポットとなったことは、以前にもこのコラムで触れました。町役場では各所にモニタリングポストを設置して毎週セシウムの線量を公表し、除染も終えて2年が経ちました。

 線量は毎年一桁くらいずつ下がり続けていましたが、このところ0.09マイクロシーベルトにまで下がったので、ちょっと様子を見に出かけてきました。ちょっと、と言っても上信越道→関越道→北関東道→東北道と乗り継いでの道中です。便利と言えば便利になったものですが…。

 さて、現地では車を道の舗装されている部分に止めて、廃棄しても良い仕事着に着替えて長靴を履き、マスクとゴム手袋と、一応の身支度をして、まずは舗装道路で線量の計測です。0.149。

 そこから建物まで10mほどの未舗装の道を、通る部分だけ雑草を刈りはらいながら移動して途中の草の上で計ると0.391。モニタリングポストの値とは違うだろうとは予想していましたが、これほどとは!

 さらに値は庭の南側で0.427を示し、東側で0.412。玄関の内側は少しばかりの期待を持って測ったのですが0.204。これで住むのは…たとえ季節の一時的な滞在でも、利用することは考えられません。

 長居は無用と引き返しましたが、定年退職後に洒落た家を新築して定住された2軒のお宅は雨戸が閉められて長期不在の様子でしたし、戦後の入植以来、酪農を続けてこられたお宅の牛舎には牛の姿はありませんでした。別荘地と銘打って開発されて40年、実際に家を建てた人は少なく、周辺は初めから投機目当で放置されたままでしたが、道路も宅地もほとんど朽ち果てた森という感じの荒み様で、1区画は廃車捨て場となっていました。

 避難解除となった福島県の町村の実態を思うと、暗澹たる気持ちです。




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憲法カフェB

岡部さん「彫金」を語る

 「気軽に参加し話せる場を」ということで始まった「憲法カフェ」。前2回は「基地問題」「ピースボート」をテーマに取り上げ、3回目(5月28日)は、山口にお住いの岡部昭さんに「彫金」の話をしていただいた。席がいっばいの15名が参加し、珈排とケーキをいただきながら、お話をうかがった。

 お祖父さんが彫金を始め、お父さんに次いで三代目になるという岡部さんは、子どものころから工芸館に連れていかれ美術に関心を持っていたという。東京高農獣医科(現・東京農工大)卒業後、結核を患い自宅で療養し、27歳になって奇跡的に治癒し、絵を描くためにデッサン研究所に入った。そこで、来る日も来る日もデッサンに没頭。そして、しだいに絵のような「彫金」にたどり着いたという。

 途中、2009年に練馬・文化の会が製作したビデオ「ブナの森は命の森」を見ながら話された。ビデオでは、信州・木島平のブナの森を歩き観察する様子や自宅の工房での製作風景が映され、魅せられたブナ林をテーマに次つぎに制作してきた創作欲を語った。

 後半は、スライドをもとに、絵画とデザインの違い、デザインとは何か、(縄文時代に始まる)デザインの起源、美しい平行線は織物から発見したという説、イラクで始まった彫金、日本の彫金の始まりである法隆寺の灌頂幡(かんじょうばん)、刀剣のつばに刻まれた彫金技術、琳派の墨絵に影響を受けたこと…。祖父とご自身の作品を写真で紹介し、少年時代、童画家武井武雄の作品に魅せられ大きな影響を受けたことなども語った。米寿を迎えたとは思えない溌刺とした声、わかりやすいお話は、2時間飽きさせず、さながら美術史の講義を聞くようだった。

 岡部さんは米寿を記念して6月14日から20日まで、集大成としての「回顧展」を開催、好評を博した。(佐藤俊廣)




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事務局から

 梅雨に入りうっとうしい日が続いていますが、みなさまお元気ですか。

▼戦争法廃止の2000万署名、目標の2000筆を超える

 6月9日の「9の日」行動で、ついに目標を達成し、2012筆になりました。この間のみなさんの署名の取り組みに感謝します。多くの市民と対話しながら訴えた署名が、国民の意識を動かしています。憲法記念日に発表された朝日新聞の世論調査では、憲法改正について、「柔軟に変える31%」に対して「簡単に変えない62%」、9条については、「変える27%(昨年29)」に対して「変えない」は倍以上の68%(昨年63)に上っています。私たちの運動の成果に確信を持ちましょう。

▼「改憲」、参議院選挙の一大争点に

 自民党は選挙公約の最後に「改憲」を掲げ、党首討論で安倍首相は、参院選後、改憲発議に向け憲法審査会を始動すると述べました。7月10日投票の参議院選挙はいよいよ重大です。「3分の2」を許さず、改憲勢力を少数派に追い込みましょう。

▼渡辺治さんが講演、総会にご参加を

 チランでもお知らせしていますが、7月30日に行われる「総会」で、参議院選挙結果を踏まえて、渡辺治さんに講演していただきます。講演は、私たちの今後の運動の大きな力となるでしょう。お誘いのうえ、多くのみなさんが参加されることを訴えます。




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